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モンゴル相撲と日本の相撲は土俵の有無など基本的な違いがありますが、浜村監督は「モンゴル相撲OK」と声をかけてくださいました。選手ひとりひとりの個性を否定から入らず、肯定してくださる監督の指導方法は私にはありがたかったです。もちろん柔軟性を養い、怪我を防ぐ意味もある股割り、四股(しこ)踏みは毎日欠かさずに行いました。こうした基本を徹底的に繰り返すことが一番大切だと思います。 当時、相撲部員は11人いたんですが、どうしても部員同士で申し合いを繰り返していると、相手の力加減が分かってしまい、稽古が単調になりがちです。練習に変化をつける工夫も必要ですね。 オフシーズンである冬場には、明徳坂と呼ばれていた学校内の坂道を駆け上がったり、近くにある青龍寺の階段を昇り降りして下半身を鍛えたりしました。ちなみに朝青龍というしこ名は、この寺の名前から吉田校長先生が付けてくださったものです。
その後、18歳のときに若松部屋に入門して、プロの扉を開けたわけですが、このときには一生懸命稽古して、早く出世したい。横綱になりたいと親方に話していました。稽古場でもじっとしていることができなくて、申しあい稽古のあとも、四股やてっぽう(突き)の稽古を続けていました。「一生懸命」という言葉が座右の銘になりますね。プロ・アマを問わず、相撲は適当にやってしまうとほんの数秒で終わってしまう勝負の世界ですから、「絶対この一番は落とさない!」という気持ちを入れていくんです。それはまるで包丁を研いでいくような感じですね。「何のためにこれまでつらい稽古を続けてきたんだ!」と、自分自身に問いかけていくんです。
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