【特集】澤野大地選手からの高校生へのメッセージ | 日本の学校

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アスリートからの熱いメッセージ

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澤野 大地選手 プロフィール

澤野 大地選手

棒高跳び選手 富士通陸上競技部所属
日本記録保持者(5m83cm)

PROFILE

1980年9月16日生まれ。大阪府出身。千葉県での小学生時代よりスポーツが好きで、特に走ることに興味をおぼえて中学校では陸上部に所属。中学1年より棒高跳びを始める。高校はスポーツの名門校である成田高等学校へ入学し、棒高跳びでインターハイ連覇を果たすなど好成績を残す。また、当時の高校記録・ジュニア日本記録など数々の記録を持つ。日本選手権においては日本大学時代2連覇、卒業後の2003・2004年には2年連続日本新記録を樹立し連覇を達成。2004年のアテネオリンピックでは初出場で決勝進出を果たした。また2006年にはプラハ国際優勝、W杯陸上アテネ大会2位、アジア競技大会優勝など実力を発揮。オリンピック出場2回、世界陸上出場6回の実績を持つ。

澤野 大地選手の学生時代は・・・

棒高跳びで日本一になりたくて、成田高校に

澤野 大地選手写真
 僕は子供の頃から、とにかく体を動かすのが好きな子でした。小さいときに育った大阪はすぐ裏が山だったし、小学生の時から住んでいた千葉は近くに森があったりして、自然の中を駆け回るのが大好きでした。そんなこともあって、子供の頃には野球以外のスポーツはほとんどやったと思います。中でもサッカーは長くやっていたんですが、小学校6年のマラソン大会がきっかけで走るのがすごく好きになったんですよ。走る楽しさみたいなものを感じていたので、中学に入ったら陸上部に入ろうと決めていました。だから中学で最初は長距離をやっていました。でも1年生の夏には先生に勧められて棒高跳びに転向しました。
 先生がおっしゃるには、体育授業の体操で、鉄棒や跳び箱、マット運動などがすごく良かったそうです。そこで陸上部の顧問もやっていらした先生が「こいつは棒高跳びをやった方がいいんじゃないか」と思われたそうです。僕が通っていた中学校では珍しく棒高跳びがあって、その先生も力を入れていらしたんです。このことがきっかけで棒高跳びを始めることになり、その楽しさにはまってしまったんです。あの時、先生と出会っていなかったら今の僕はなかったと思います。大事な恩師です。
 棒高跳びに打ち込むうちに、もっと強くなりたいと思うようになりました。そして日本一になりたいという思いで進学したのが、成田高校でした。陸上競技の名門校で、あのマラソンの増田明美選手やハンマー投げの室伏広治選手も成田高校の先輩です。高校時代はひたすら陸上の毎日で、修学旅行や文化祭といった学生らしい時間はほとんど持てなくて、いつもその時には試合や遠征に行っていましたね。その上授業についていくのも必死で、陸上と学業で遊ぶ時間はほとんど無かった気がします。でも不満はありませんでした。好きなスポーツに打ち込めている充実感の方が大きかったからです。

インターハイ、日本選手権を制し世界のボールターに

オリンピック会場では、涙が出そうなほど感動した

澤野 大地選手写真
 成田高校では周りの選手もインターハイ優勝者ばかりだったので、上を目指す環境としてはすごく良かったと思います。自然と僕もインターハイで優勝することが当然の目標となっていました。そして高校2・3年とインターハイ連覇を果たしたら、自然と次の目標が見えていました。日本大学陸上競技部は僕が目指す日本一の夢を叶えられるところでした。さらに上を目指すなら、ここしかないと思ったからです。そして大学時代には目標だった日本選手権で優勝でき、次は世界大会が目標となりました。
 シニアの世界大会に初めて出場したのは大学4年の時、スペインのマドリードでした。そこにはテレビや雑誌で見たことのある選手がたくさんいて、とにかくみんなに僕を憶えてもらいたくて下手な英語で一生懸命に話しかけていました。競技の成績は良くなかったのですが、次の年にも必ず合う選手だと意識していましたし、知り合いがいれば競技中も少しはリラックスできると考えたからです。
 そして2003年には初めての世界陸上、翌年には初めてのオリンピックアテネ大会出場を経験しました。特にオリンピックは小学校からの夢でした。小学校の頃は棒高跳びなんて知らなかったけれど、スポーツが好きだったので何かの競技で出場したいという漠然とした夢はありました。その夢のオリンピックに出場できたときは嬉しかったですね。アテネでは会場に最初に入ったときに、おもわず涙が出そうなくらい感動したのをよく憶えています。でも一方ではすごく緊張していて、メイントラックに行く途中で僕一人だけ窓枠に頭をぶつけて「大丈夫か?」と周りの選手に言われました(笑)。でも、そのお陰で競技に集中できたし無我夢中で跳べたことが決勝につながったのかもしれません。アテネ以降、海外の大会に出場することも多くなり、貴重な経験を積むことができたのは僕自身のプラスになったと思います。そして2008年のオリンピック北京大会は落ち着いて挑むことができました。ただ北京の時は年齢による体の変化が上手にかみ合っていないことを感じていました。やはりオリンピックという大会の凄さ、そしてオリンピックで結果を残したいと強く思いました。

澤野 大地選手からのワンポイントアドバイス

あらゆる練習が、全身の動きと筋肉を鍛える

澤野 大地選手写真
 棒高跳びの面白さ・魅力は、あんなに高い位置にあるバーに向かって空中を体が上っていくときの高揚感、そしてバーを超えたときの気持ち良さなんです。これは観客の方も同じだと思います。だからこそ棒高跳びはエンターテインメントだと思っています。陸上競技場のトラックの中で一番高い場所に行けるのも、棒高跳びです。大会を制している気分になれますね。でも、それだけに美しく高い跳躍をするためには、いろんな要素が必要となります。走る、跳ぶだけじゃなく、全身の筋肉をフルに使う競技です。そのための練習も様々です。僕も高校時代から専門的に練習してきましたが、その内容は・・・

1 走りこみ・・・スポーツの基本ですが、特に棒高跳びでは助走で8~9割は決まると思っています。そして中・長距離と違った力強さも必要となります。もちろん下半身の安定・強化も大事なことです。特に高校時代は集中的に100m、200mといった短距離の走り込みは有効的だと思います。

2 跳躍・・・跳躍のタイミングやフォーム、跳躍力を鍛えるためには走り幅跳びや三段跳びなど、あらゆる練習をしました。いろんな体の動き・跳躍から棒高跳びにつなげていくことも大切だと思います。

3 体操・・・マット運動や鉄棒など、体操競技の練習も大事です。棒高跳びは体のバネと共に柔軟性、そしてポールをつかむ腕や肩などの筋肉も必要です。そういった動きや筋肉を鍛えるには有効的な練習です。

他にもウエイトトレーニングなどもしていましたが、基本的に棒高跳びにおいては、無駄な練習はないと思っています。これだけをしていれば大丈夫という練習もありません。だからポールを使って跳ぶことだけじゃなく、いろんな動きの集大成です。あらゆる練習で体や筋肉を造っていくことが大切だと思います。そして全ての練習を意識しながら行ってください。走る時も、助走の走りをイメージしながらすることが大事だと思います。

澤野 大地選手からみんなへメッセージ

大きな壁や苦労を乗り越えた経験は、無駄にはならない

澤野 大地選手写真
 これからの僕の目標は、アスリートとして今現在の自己記録5m83cmを伸ばしていきたい。自分自身の挑戦でもあるし、お世話になっている富士通に報いることだとも思っています。そしてアスリートが記録を伸ばすことで、陸上界がもっともっと盛り上がれば底辺が広がり、子供たちや未来のアスリートの育成にもつながると思っています。そのためにも、せっかく今の自分がいるのだから、これまでの経験を次の世代に伝えていくことも僕の使命だと感じています。
 僕が今みなさんに伝えたいことは、人生でその時々で辛いことはあります。僕も失敗や挫折がありました。でも大好きなスポーツをしていて大きな壁や苦労を乗り越えた経験は、決して無駄にはならない、プラスになりました。そしてやり続けてこられたことに感謝しています。みなさんの中にも悩んでいたり立ち止まっている人もいるでしょうが、決して諦めないで挑み続けてほしいですね。やり続けた先には、必ず新たな喜びや達成感が待っていると僕は信じています。

※プロフィール等は2013年10月時点のものです。

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株式会社JSコーポレーション 代表取締役社長 米田英一