PROFILE
1987年9月11日生まれ。石川県金沢市出身。6歳から柔道を始め、小学校時代にはレスリングの全国少年少女レスリング選手権にも出場経験を持つ。中学時代は全国中学校柔道大会44kg級で3位に入るが、翌年には2階級上の52kg級に出場し優勝を果たした。高校は上京して藤村女子高等学校に進学、2年生の時に57kg級に階級を上げて出場したインターハイで優勝するが、2年時で郷里の金沢学院東高校に転校した。3年時はインターハイ出場はできなかったが、全日本ジュニアで優勝、ブルガリア国際で3位、さらにドイツジュニア国際で優勝を果たした。その後、帝京大学に進み国内外の大会に出場し、2008年の世界柔道での団体優勝を始め好成績を残してきた。卒業後はフォーリーフ ジャパンに所属。この年、世界選手権を始め、出場した国際大会7大会全てで優勝を果たすなど輝かしい活躍を見せた。そして2012年7月にはロンドンオリンピックに初出場し、見事、金メダルを獲得。この優勝によってオリンピック、世界選手権、ワールドマスターズおよび全てのグランドスラム大会を完全制覇した最初の選手となった。松本 薫選手の学生時代は・・・
私にとって一番のライバルは姉でした
私は5人兄姉の4番目ですから、上にならえじゃないですが、自然に柔道をするようになりました。ただ私は体も小さかったので勝てるようになるのはなかなかで、柔道に興味を感じるまでは時間もかかったと思います。中学時代までは道場に通って練習をしていましたが、柔道に対する気持ちが少しずつ変わっていったのは中学2年の頃からです。全国中学校柔道大会で私が3位になったのですが、同じ大会の48kg級でひとつ上の姉が優勝したんです。『やっぱり優勝じゃないと駄目なんだ』と思ったのがきっかけで、『強くなりたい!勝ちたい!』と強く思うようになりました。私にとって一番のライバルは姉だったので、負けん気、やる気がいっきに目覚めて柔道がどんどん好きになっていきました。また、武道としての柔道の面白さや奥深さが徐々に解るようになって、もうやめたいとは思わなくなっていました。それだけでなく好きなスポーツで仲間ができたり、いろんな大会で全国の柔道選手と友達になれる、ライバルとして戦えることが嬉しかったですね。
高校進学は上京してスポーツ校としても有名な藤村女子高校に入学しました。柔道部には所属していましたが、練習はほとんど実業団でやっていました。高校生とは違ってレベルも高く歯が立たないって感じでしたが、私が将来目指しているのはここなんだという思いを持って練習していました。そんな練習に明け暮れる毎日でしたが、学生としては初めての女子校生活が新鮮ですごく楽しかったですね。特に宮古島への修学旅行の楽しさは忘れられません。同級生には柔道以外のスポーツで頑張っている仲間がたくさんいて、厳しい練習の合間に、女子高生として友達と一緒に過ごした貴重な思い出がいっぱいあります。
私はとにかく強くなりたいという思いを持って上京し、藤村女子高校に入学しました。漠然とですがオリンピックに出場したいという目標を持っていました。でも、練習方法などが馴染めずに高校2年の途中で金沢にもどり金沢学院東高校に転校しました。転校によってたくさんの方々に迷惑をかけることになりました。それだけに人の倍努力をして皆さんに報わなければいけないと痛感しました。そういった思いが、特に両親への思いがその後の私の一番のモチベーションになったと思います。
高校進学は上京してスポーツ校としても有名な藤村女子高校に入学しました。柔道部には所属していましたが、練習はほとんど実業団でやっていました。高校生とは違ってレベルも高く歯が立たないって感じでしたが、私が将来目指しているのはここなんだという思いを持って練習していました。そんな練習に明け暮れる毎日でしたが、学生としては初めての女子校生活が新鮮ですごく楽しかったですね。特に宮古島への修学旅行の楽しさは忘れられません。同級生には柔道以外のスポーツで頑張っている仲間がたくさんいて、厳しい練習の合間に、女子高生として友達と一緒に過ごした貴重な思い出がいっぱいあります。
私はとにかく強くなりたいという思いを持って上京し、藤村女子高校に入学しました。漠然とですがオリンピックに出場したいという目標を持っていました。でも、練習方法などが馴染めずに高校2年の途中で金沢にもどり金沢学院東高校に転校しました。転校によってたくさんの方々に迷惑をかけることになりました。それだけに人の倍努力をして皆さんに報わなければいけないと痛感しました。そういった思いが、特に両親への思いがその後の私の一番のモチベーションになったと思います。
帝京大学、実業団、そしてオリンピックへ
日本一になれた時、初めてオリンピックが近づいたと感じた
金沢に帰り再スタートを切ったからには「もう迷わずに柔道に打ち込んでみせる!」という強い思いが、自分の進むべき道を示してくれたような気がします。だから高校卒業後に帝京大学へ進むことも迷わずに決めました。帝京大学は柔道で日本一の大学だと思いましたし、谷亮子選手や山本樹里選手も輩出した名門の柔道部で練習したかったからです。そして帝京大学の柔道部は私にとってすごく新鮮でした。高校時代までは畳の上で笑顔を見せるなんてことは無くて、ただまじめに取り組むのが精一杯でしたが、大学ではいつも笑顔で柔道をするというのが監督の考え方でした。初めて『柔道って楽しんでやってもいいんだ』と思ったんです。心が少し軽くなったようでした。今までは自分を追い込んで強くなるんだと考えていた部分があったので、ゆとりができたことで技にも変化が出てきたと思います。そして目標がはっきりと見えてきたのも感じていました。
まだオリンピックは将来の夢でしたが、とにかく誰よりも強くなるんだという目標は持っていました。まずは学生で日本一になりちゃんと成績を残すこと。でなければ実業団で柔道ができないとわかっていましたから。そんな中で大学2年の時に出場した講道館杯という全国大会で優勝でき、その後の日本一を決める大会でも優勝することが出来た時、始めてオリンピックが近づいたと確かな手応えを感じました。卒業後にフォーリーフ ジャパンに入り自分の中で変わったことは、柔道をすることが仕事にもなったし、一人の人間、柔道家としての責任感が持てるようになりました。その気持ちが新たなモチベーションにもなっていたと思います。
そしてロンドンオリンピック出場が決まったときは、まずはホッとして、同時にここからが戦いなんだとも感じていました。オリンピックまでは合宿詰めで、勝つイメージを強めていくのも大変でしたが、やはりオリンピックは今までとは全然違ったものでした。4年に一度の最大の大会にかける人々の思いが強く感じられましたね。その中で最高の金メダルを手にできたことは何よりも嬉しかったですね。オリンピックのメダルは母との約束でもあり、オリンピックに連れて行くことが私が母にできる恩返しでしたから。また選手村の雰囲気も忘れられませんね。国や性別を超えたスポーツマン同士の友情や尊敬、思いやりを味わうことができました。
まだオリンピックは将来の夢でしたが、とにかく誰よりも強くなるんだという目標は持っていました。まずは学生で日本一になりちゃんと成績を残すこと。でなければ実業団で柔道ができないとわかっていましたから。そんな中で大学2年の時に出場した講道館杯という全国大会で優勝でき、その後の日本一を決める大会でも優勝することが出来た時、始めてオリンピックが近づいたと確かな手応えを感じました。卒業後にフォーリーフ ジャパンに入り自分の中で変わったことは、柔道をすることが仕事にもなったし、一人の人間、柔道家としての責任感が持てるようになりました。その気持ちが新たなモチベーションにもなっていたと思います。
そしてロンドンオリンピック出場が決まったときは、まずはホッとして、同時にここからが戦いなんだとも感じていました。オリンピックまでは合宿詰めで、勝つイメージを強めていくのも大変でしたが、やはりオリンピックは今までとは全然違ったものでした。4年に一度の最大の大会にかける人々の思いが強く感じられましたね。その中で最高の金メダルを手にできたことは何よりも嬉しかったですね。オリンピックのメダルは母との約束でもあり、オリンピックに連れて行くことが私が母にできる恩返しでしたから。また選手村の雰囲気も忘れられませんね。国や性別を超えたスポーツマン同士の友情や尊敬、思いやりを味わうことができました。
松本 薫選手からのワンポイントアドバイス
基本を大事にすれば、ぶれない強さにつながる
高校時代は、とにかく強くなりたいという思いがあったので、練習に前向きに取り組めました。金沢学院東高校では大学生と一緒に練習をしていましたから、大学生についていけなくては強くなれないという気持ちで、毎朝約40分の朝練から頑張っていました。当時の私の練習はというと・・・
(1)走る・・・毎朝40分は走ってから授業に出ていました。走ることは選手にとって大事な土台作りです。走ることで下半身から鍛えておかなければ、技を身につけることはできないと思います。
(2)打ち込み・・・技の形を習得するために、相手に反復動作を繰り返して練習します。基本練習でありウォーミングアップにもなります。
(3)乱取り・・・実際に相手と格闘する練習です。私は5分を10本はこなしていましたが、実際の試合を想定して行う実践練習ですから一番激しい練習とも言えます。
以上の内容を中心に練習しますが、その中でも寝技・立ち技とそれぞれに打ち込みの基本練習や、乱取りの実践練習を行っていました。また、特に私が力を入れていたのは走ることです。土台がしっかりしていないと、どんなに技術があっても意味が無いし、伸びないと思います。とにかく一番大事なことは積み重ねだと思います。そして毎日の練習の中から、自分の長所を伸ばし、短所を補うことを心がけるようにしていました。
皆さんにアドバイスできることは、基本練習を一番大事にしてほしいということです。そして器用にできてしまう人は、つい広く浅くになりがちで、技が中途半端になってしまうことがあります。だからこそ基本が大事なんです。基本がしっかりしていれば、自分の得意技を磨くことができます。自分の中のひとつの幹をしっかりと極めることが、ぶれない強さにつながると思います。
(1)走る・・・毎朝40分は走ってから授業に出ていました。走ることは選手にとって大事な土台作りです。走ることで下半身から鍛えておかなければ、技を身につけることはできないと思います。
(2)打ち込み・・・技の形を習得するために、相手に反復動作を繰り返して練習します。基本練習でありウォーミングアップにもなります。
(3)乱取り・・・実際に相手と格闘する練習です。私は5分を10本はこなしていましたが、実際の試合を想定して行う実践練習ですから一番激しい練習とも言えます。
以上の内容を中心に練習しますが、その中でも寝技・立ち技とそれぞれに打ち込みの基本練習や、乱取りの実践練習を行っていました。また、特に私が力を入れていたのは走ることです。土台がしっかりしていないと、どんなに技術があっても意味が無いし、伸びないと思います。とにかく一番大事なことは積み重ねだと思います。そして毎日の練習の中から、自分の長所を伸ばし、短所を補うことを心がけるようにしていました。
皆さんにアドバイスできることは、基本練習を一番大事にしてほしいということです。そして器用にできてしまう人は、つい広く浅くになりがちで、技が中途半端になってしまうことがあります。だからこそ基本が大事なんです。基本がしっかりしていれば、自分の得意技を磨くことができます。自分の中のひとつの幹をしっかりと極めることが、ぶれない強さにつながると思います。
※プロフィール等は2014年10月時点のものです。
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