【特集】平岡拓晃選手からの高校生へのメッセージ | 日本の学校

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アスリートからの熱いメッセージ

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平岡 拓晃選手 プロフィール

平岡 拓晃選手

柔道選手(了徳寺学園所属) 
2012年ロンドンオリンピック銀メダリスト(男子柔道60kg級)

PROFILE

1985年2月6日生まれ。広島県広島市出身。6歳から柔道を始め、近畿大学附属福山高校時代にインターハイ優勝。筑波大学に進学後は2003年に全日本学生体重別選手権大会とベルギー国際大会に優勝し、その後も国内外の大会で好成績を残し2008年には北京オリンピックに出場。しかし初戦となる2回戦で敗退しメダル獲得はならなかった。2009年は世界柔道選手権大会60kg級で銀メダル、翌年は銅メダル、アジア大会で銀メダルを獲得。2011年の世界柔道選手権大会でも銀メダルを獲得し、2012年は全日本選抜柔道体重別選手権大会5連覇を果たしロンドンオリンピック代表に選出された。そして同年7月、ロンドンオリンピックでは日本人メダル1号となる銀メダルを獲得した。

平岡 拓晃選手の学生時代は・・・

何が何でも、柔道で日本一になりたかった

平岡 拓晃選手写真
 僕は6歳の時に父に勧められて柔道を始めました。父が中学校の教師で柔道部の顧問もやっていましたから、兄と僕にはやらせたかったのだと思います。最初は地域のスポーツセンターでやっていましたが、小学4年生の頃から道場に通うようになりました。ただ僕や兄にとって父は怖い存在だったので、父が練習を見に来る時は緊張していたことを覚えています。でも兄はどちらかというと柔道に向いていなかったんでしょうね(笑)途中でやめてしまいましたが、僕は柔道が好きだったので廿日市市の中学に越境入学までして柔道に打ち込むことになったんです。中学校は遠かったので、毎日父が送り迎えをしてくれていましたが、3年間大変だっただろうと思います。でもこの中学生の頃から、僕はこの先も柔道を続けることを前提に高校・大学進学を考えていくと決めていたんだと思います。特に中学3年の時、中学校全国大会の決勝で負けた悔しさが忘れられなくて、柔道でこの悔しさをはらしたいという想いを強く持ちました。その後の高校・大学時代は寮生活でしたし、練習に明け暮れた青春時代でしたね(笑)。1年中柔道衣で過ごしていたっていう感じですね。特に高校時代は練習も厳しくて辛いと思うこともありましたが、妥協せずに頑張ってこられたのは、中学3年の時の全国大会で負けた悔しさがあったからです。だから何が何でも日本一になりたいという目標を持ち続けることができたんだと思います。
 また高校時代は寮生活だったので何もかも自分でしなくてはいけない大変さ、加えて柔道がうまくいかない時期もあって親にも申し訳なくて泣いたこともありました。ただ僕はあまり先輩や先生にも相談したりできないタイプだったんです。我が強いというかプライドも高かったのかもしれません。だから自分で悩んで考えて答えを出すしかなかった。でもそれがメンタルの強さを育ててくれたとも思います。特に高校3年生の時にはキャプテンもさせてもらって、個人だけでなくキャプテンとしてチームの士気をあげていく事の大切さも学びました。

筑波大学を経て、つかんだ2度のオリンピックへの切符

北京での経験や悔しさがあったから、その後4年間を頑張れた

平岡 拓晃選手写真
 筑波大学に進学してからも、やはり柔道で日本一になる、そしてオリンピックに出場するという確かな目標がありました。そして初めてオリンピック代表に選ばれたのは大学を卒業して了徳寺学園に入社してからでした。当時、僕と同じ階級には野村忠宏(ミキハウス)選手がいてオリンピック4連覇を狙っているという時でした。もちろん僕自身も野村選手の凄さはわかっていましたが、だからこそどうしても自分が出たかったんです。試合には僕が勝ちましたが、選考委員の中には野村選手を推す意見が強かった。そんな中で僕が選ばれて、その後のアジア選手権での優勝により、60kg級の出場枠を獲得して、北京オリンピック出場が決まりました。もちろん凄くうれしかったし、少し安心もあったのかもしれません。それまで休まずに練習や大会に臨み続けて張りつめていたものが、ふっと緩んでしまい怪我をしてしまったんです。他の代表選手は海外の試合で実践を積んでいるのに僕だけリハビリをしながらの練習でした。焦りも不安もあったし、この状態のままオリンピックの畳に上がりたくないので、できる練習はやったつもりでしたが結果は初戦敗退でした。今思えば、怪我をした自分を受け入れる強さが僕にはなかったです。気持ちばかりがはやって、体と心がバラバラなことをしていた結果だと思いました。
 その後のロンドンまでの4年間は、僕にとって忘れられない時間でした。とても濃くて、早くて、キツかった。あれほど一生懸命に生きた4年間はないですね。北京が終わった当初は初めて柔道を辞めたいと思った時もありました。加えて母の病気もあり僕の病気もありました。でも改めて周りの家族の思いや気遣いに気づかされ、もう一度オリンピックを目指そうと思えるようになったんです。でもその後の4年間、一回も世界一にはなれなかったんです。今思えば、北京の一回戦負けをやはり気にしていたのかもしれません。早く一番になって周りに見せたいという焦りもあったんでしょうね。ただ、北京での悔しさは確実に僕のモチベーションになっていました。世間の期待に応えられなかった辛さと、雪辱を晴らしたい思いとがロンドンにつながったと思っています。そして4年後のロンドンオリンピックでは、金こそなりませんでしたが銀メダルを手にすることができ、また大会初のメダルだったことも凄くうれしい結果でした。僕にとってオリンピックは、人が成長させてもらえる場ですね。

平岡 拓晃選手からのワンポイントアドバイス

体と技、そして心も鍛えてこその練習

平岡 拓晃選手写真
 僕の学生時代の練習というと、中学時代はまず体力作りから始まって、体幹トレーニングなどに力を入れていました。この2つはどんなスポーツにも必要な基礎と言えるかもしれませんね。また高校生になると練習内容や練習量もかなりハードになりました。例えば
(1)ランニング・・・毎朝、1時間半くらいランニングトレーニングをしました。体力作りと足腰を鍛えるには欠かせないトレーニングです。
(2)基礎練習・・・ここでは技の基礎練習を重点的にやっていました。例えば寝技の場合、抑え込まれた時にいかにして体を逃がすかなどを繰り返し研究しながら練習していました。すると抑える方も抑えられる方も、どんどん力を付けていくことにつながります。また背負い投げにしても、腰のあたり具合などを何度も繰り返しながら体で覚えることです。
(3)一人打ち込み・・・相手がいることを想定して、自分自身の体の形や姿勢を研究しながら身につけていきます。膝の曲がり具合や足の角度など、自分自身で確認しながらすることが大切です。
(4)スピードの練習・・・これは僕自身だからこその練習ですが、僕は体も小さくて非力だったので、スピードを生かした柔道をするしかないと思っていました。そのためには畳の上でフットワークを鍛えるサイドステップなどの練習をよくやっていました。そのうえで、畳をつかむ、蹴る感覚を鍛えるようにしていました。
技や技術、体を鍛える練習も大切ですが、同じように大事にしてほしいのは柔道に向かい合う心だと思います。挨拶や礼儀はもちろんのこと、人を思いやる心がなければ素晴らしい柔道選手にはなれないと思っています。例えば僕は昔、柔道の練習でトイレのスリッパを並べることを教わりました。無関係なようですが、人としての常識を軽んじる心では成長できないと思っています。柔道は技や力だけでなく心の強さも身につけてほしいスポーツです。

平岡 拓晃選手からみんなへメッセージ

自分のルールを作って頑張ってみるのもいい

平岡 拓晃選手写真
 北京からロンドンまでの4年間、本当に辛い時期でもありました。そんな僕を支えてくれたのは、やはり家族でした。特に両親からは期待も大きかったので、僕が頑張っている姿を見せたいという思いもありました。また結婚をして子供ができた時期でもありましたから、心が折れそうな時も家族のことを考えると頑張れたんだと思います。それと北京オリンピックのことは嫌でしょうがなかった、けれども逃げずに向き合えたことでロンドンのメダルを取ることができたと思っています。今だから言えるのかもしれませんが、北京があったからこそのメダルだと思えるんです。また今、僕は北京の経験がなければ、これからの柔道選手を目指す子供達に伝えていくこと、話すことがなかったんじゃないかとも思います。
 柔道は勝ち負けを決めるスポーツですが、勝つこと、そして負けたことからも学ぶべきことがたくさんあるんだということを、将来は指導者として子供達に伝えていきたいですね。
 高校の3年間は僕の場合、柔道に明け暮れる毎日で華やかではなかったけど、目標に向かって一生懸命になれた素晴らしい時間でした。現在高校生の皆さんにとって、この3年間は何でもできる自由な時間です。遊ぶことも勉強することも、何かに打ち込むこともできます。でも高校時代の3年間だけでも、自分のルールを作って何かを頑張ってみるのもいいんじゃないかと思います。なぜなら、後で振り返った時に何かをした、頑張った記憶や結果が必ず残るからです。それが必ず今後の自分自身の成長につながると僕は信じています。

※プロフィール等は2015年4月時点のものです。

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株式会社JSコーポレーション 代表取締役社長 米田英一