【特集】立石諒選手からの高校生へのメッセージ | 日本の学校

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アスリートからの熱いメッセージ

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立石 諒選手 プロフィール

立石 諒選手

水泳選手(ミキハウス所属)
2012年ロンドンオリンピック銅メダリスト(男子200m平泳ぎ)

PROFILE

1989年6月12日生まれ。神奈川県藤沢市出身。4歳から水泳を始め、小学校、中学校、高校時代もクラブチームで練習を積む。中学3年生で平泳ぎ全国3位という成績を出し、湘南工科大学付属高校時代にはジュニアの代表として活躍し、チームは全国優勝に輝いた。高校2年生の時には高校新記録を出し、翌年には競泳日本代表にも選出される。卒業後は慶応義塾大学環境情報学部に入学。2010年の競泳・日本選手権で50m・100m・200m平泳ぎで3冠を達成し注目を集める。2012年は日本選手権兼ロンドンオリンピック選考会で100m・200m共に2位に入り代表選手に選出。そして8月のロンドンオリンピックでは男子200m平泳ぎで見事、銅メダルを獲得した。大学卒業後はミキハウスに入社。現在、来年のリオデジャネイロオリンピックを目指す。

立石 諒選手の学生時代は・・・

水泳の練習はいつもクラブ、学校で練習したことは無かった

立石 諒選手写真
 僕が水泳を始めたのは4歳の時でした。スイミングスクールに通い始めた兄にくっついて連れて行ってもらうと、自分から水泳をやりたいと言ったそうです(笑)。水泳をやっていた祖父も、健康のために薦めてくれたと聞いています。当時は同じ年の子どもも多く、スクールに通うのが楽しかったんでしょうね。いつの間にか日課になっていたようです。他にもエレクトーンやドラムなど音楽も習っていましたが、子どもの頃から同じ仲間と一緒に何かをすることも遊びの延長だったんだと思います。その中でも特に水泳では、好きというよりも試合とかで友達に負けたくないという気持ちが一番強かったのかもしれませんね。
 小学生の頃から藤沢市にあるクラブチームに入り、中学にも水泳部が無かったこともあって高校時代まで練習はいつもクラブでした。だから一度も学校で練習したことが無いんです。そんな中、水泳に対する意識が少しずつ変わり始めたのは中学に入ってからです。特に3年生の時に出場した全国中学という大会では3位に入り、これからも水泳を頑張っていきたいと強く思うようになりました。もうひとつ、中学の時にすごく刺激を受けたのがアテネオリンピックの北島康介選手でした。この頃からオリンピックという確かな目標が生まれました。
 そしてスポーツ推薦を受けて湘南工科大学付属高校へ進学し、高校の3年間は水泳に打ち込むんだと決めていました。実際に高校時代は僕にとっても伸び盛りの時期で、高校2年生からはジュニアの日本代表にも入れていただいて、大会でもどんどん記録が出せて一番水泳が楽しかった時期でもありました。また僕らの学年は強い選手がたくさんいて、高校2年の時にチームで全国優勝もしましたし、高校3年の時にはシニアの日本代表に入れたのも、周りからのいい刺激があったことも大きかったと思います。

日本代表、そして夢のオリンピック出場・・・

中学生からの夢が叶った、最高に嬉しい瞬間だった

立石 諒選手写真
 実際にオリンピックというものを身近に意識し始めたのは、高校生の時でした。高校時代は、本当に水泳しかしてこなかったし、周りの普通の高校生のような時間は過ごしていなかったと思います。毎日の練習に加えて、夏休みや冬休みは海外で練習に没頭した生活を送っていましたから、高校生らしい遊びもしていなかったんじゃないかな。そんな練習ばかりの毎日で、唯一の息抜きと言えば眠ることでしたね。こう見えて僕は引きこもりっぽいところがあって(笑)、たまの休みにも出かけることはあまりなくて、ひたすら寝ては体を休めていました。がむしゃらだったので体も疲れていましたから(笑)。
 でもそれが今の自分にとって、夢を手に入れるための最善だと思っていたし、確かな手応えも感じていました。高校2年生の時に出した高校記録です。当時の世界ランクでも8位以内、国内でも2位くらいのタイムでした。これならオリンピックを狙えるぞ、と思ったのがこの時です。ただ、それだけではオリンピックという舞台には進めなかったと思います。なぜなら、僕がオリンピックという確かな目標が持てたこと、そしてその夢に対して真正面から向き合ってくださった指導者の方々、ライバルの皆、その全てがあったからこそ、辛い練習にも頑張れたし、記録も伸ばすことができた。そしてオリンピックの切符を手にできたんです。
 2012年のロンドンオリンピック、やはり特別な大会だと感じました。どの世界大会よりもピリピリしているし、みんな、国の威信をかけて戦っているという印象を受けました。そんな雰囲気の中、隣のレーンを泳ぐ北島康介選手が全部プレッシャーを背負ってくださったので、僕は思いっきり泳げたんです。憧れの選手と一緒に泳ぐ、そして中学生の頃からの夢だった「北島選手に勝つ!」を叶えることができた。あのメダルは最高に嬉しい瞬間でした。僕の水泳人生において、目標と言える存在が北島康介選手です。彼の水泳に対する真摯でまじめな姿勢は、同じ競泳選手として目標にしたいですね。

立石 諒選手からのワンポイントアドバイス

目標を持ち、自分自身が納得できる練習こそが身に付く

立石 諒選手写真
 僕は学生時代から、学校で授業をしている時間以外はほとんどプールで練習していました。そのうえ長期の休みには海外で練習するという生活だったので、練習量も内容もけっこうハンパないと思います。その中でも高校時代の練習は、朝は6時半頃から練習して学校に行って、放課後もすぐに練習に行って毎日家に帰るのは10時ぐらいでした。そのお練習内容は、
(1)エアロビックストレーニング・・・基本的に朝はこのトレーニングでした。エアロビといっても、ただひたすら泳ぐことです。短い距離を短い間隔で泳ぐ反復練習です。例えば50mを20本、何十秒サークルで泳ぐという練習を繰り返します。できるだけ短い時間でどれだけ泳げるかという、詰め込み練習ですが、これによって心肺能力を高めたり、持久力を付ける練習になります。
(2)特種目の練習・・・午後の練習はほとんど種目によって行なっていました。僕の場合は平泳ぎです。ここではフォームやあらゆるテクニックにもこだわった練習がメインです。朝の練習をふまえた上で、自分の泳ぎにあったフォームやテクニックを身につけ、そして伸ばしていく。これがタイムへと繋がるのです。
(3)ウオーミングアップ・・・高校時代は特に筋肉トレーニングはしていません。やはり練習のほとんどが水中で行ないます。ただ、練習前のストレッチなどのウオーミングアップは、どのスポーツにも不可欠だと思います。筋肉や関節など体を痛めないための大事な練習のひとつです。

水泳は一番怪我が少ない全身運動です。健康のためにはもちろん、怪我のリハビリやダイエットにも効果があるマルチスポーツです。
練習は選手の種目やキャリア、目標によっても違ってくると思いますが、一番大事なことは、嫌いになるような練習はしないでほしいということです。コーチから言われたままにキツい練習をするのでは、楽しくないし続かない。でも自分の目標を持って、納得のできる練習をすることは有効的です。自分の目的意識をしっかりと持って有意義な練習をしてください。

立石 諒選手からみんなへメッセージ

何があっても諦めず、自分の夢に全力で向かっていく

立石 諒選手写真
 僕は中学生のとき、アテネオリンピックで活躍する北島選手を見てオリンピックを目指しました。そして2012年、ロンドンオリンピックに夢をつなげることができた。次は来年のリオデジャネイロにつなげていきたいと思っています。これが競泳選手としての今後の目標です。また、水泳に携わってきた一人の人間としては、いろんな人に水泳の良さ、面白さを伝えられるようなことができたらなと考えています。まだ具体的なことはわかりませんが、自分自身が水泳で得ることができた経験や思い、様々な出会いをこれからも大事にしていきたいからです。
 そして高校生のみんなも、夢を持ってください。小さくても大きくても関係ない。大事なのは、何があっても諦めず、自分の夢に全力で向かっていくことだと思っています。僕は自分の夢にがむしゃらになれたから、今の自分があるし、更なる挑戦も出来る。水泳は、僕の人生を最高に楽しくしてくれた夢のカタチそのものです。

※プロフィール等は2015年12月時点のものです。

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株式会社JSコーポレーション 代表取締役社長 米田英一