小野寺 歩選手
カーリング選手(元カーリング日本代表)
小野寺 歩選手
カーリング選手(元カーリング日本代表)PROFILE
1978年11月25日生まれ。北海道北見市出身。カーリングが盛んな北見市で、中学時代、同級生に誘われカーリングを始める。高校時代、世界ジュニア選手権をはじめ数々の大会に出場し、好成績を収める。そして2002年にソルトレークシティ冬季オリンピック出場を果たすが、惜しくも予選敗退に終わる。札幌学院大学を卒業後、青森市文化スポーツ復興公社臨時職員となり「チーム青森」を結成。トリノを目指す。そして2006年、トリノ冬季オリンピックに出場。この大会でも結果こそ予選敗退となったが、優勝候補の強豪チーム・カナダに勝利するなど大健闘を見せ、多くの日本人ファンを集めカーリングへの注目度を上げた。トリノオリンピック後に結婚を発表。選手としてカーリングへの熱い思いを持ち続け、現在も北海道を中心に様々な活動を行っている。小野寺 歩選手の学生時代は・・・
カーリングの戦術は、将棋で培ったものかも・・・
私が生まれ育った北海道北見市(当時は常呂町)は、コンビニもスーパーもない山に囲まれた田舎町で、子ども時代は川で遊んだり、山に登って探検したり、そして冬はそり滑りと自然の中で育ちました。祖父母とも同居していたので、よく祖父と将棋や百人一首なんかもしていました。中でも将棋はいろいろと作戦を考えたりすることを教わったようで、その後のカーリングの戦術においても役に立ったのかも知れませんね(笑)。
北見市はカーリングが本当に盛んなところで、子どもの頃から両親や友達など、周りにはカーリングに親しんでいる人が多かったんです。私がカーリングを始めることになったのは中学一年生の時。小学校時代からカーリングをやっていた友達に誘われ、軽い気持ちで始めたんです。ところが、いざシーズンが始まると、コーチの元で厳しい練習が待っていました。もちろん当初は後悔したこともありましたね(笑)。
高校生になるとカーリングで遠征に行くことも多くなり、授業を休むことも多くなりました。でも、だからといって学校の成績が下がることはとても嫌だったので、遠征にも勉強道具を持っていき授業に遅れないようにしました。負けず嫌いはこういうところにも表れているんでしょうね。
北見市はカーリングが本当に盛んなところで、子どもの頃から両親や友達など、周りにはカーリングに親しんでいる人が多かったんです。私がカーリングを始めることになったのは中学一年生の時。小学校時代からカーリングをやっていた友達に誘われ、軽い気持ちで始めたんです。ところが、いざシーズンが始まると、コーチの元で厳しい練習が待っていました。もちろん当初は後悔したこともありましたね(笑)。
高校生になるとカーリングで遠征に行くことも多くなり、授業を休むことも多くなりました。でも、だからといって学校の成績が下がることはとても嫌だったので、遠征にも勉強道具を持っていき授業に遅れないようにしました。負けず嫌いはこういうところにも表れているんでしょうね。
高校時代の夢、そしてオリンピックは・・・
夢は教師!その為に勉強もカーリングも一生懸命だった
小学校時代からの私の夢は教師になることでした。だから遠征でどんなに忙しくても、勉強も、そしてカーリングも頑張ってこられたのはその目標があったからだと思います。特にカーリングにおいては、盛んな土地柄というだけでなくカーリングの魅力や面白さも充分感じていましたし、どんどん打ち込んでいく自分がいました。そして1998年の長野オリンピックからカーリング競技が正式種目となり、「これからは自分にも可能性があるかもしれない」とオリンピックへの夢も少しずつですが見えてきたんです。そして中学校や高校の同級生と結成したチーム「シムソンズ」で、次のソルトレークシティ冬季オリンピックを目指し頑張りました。
その後2002年のソルトレイク、2004年のトリノと二度のオリンピックに出場することができ、たくさんの思い出ができましたが、勝った試合も負けた試合も全て私にとっては忘れることができませんね。その中でも一番印象深いのは、やはりトリノでのカナダ戦です。その前のデンマーク戦を私のミスで落としてしまったにも関わらず、「そのままスキップ(主将)をやってほしい」とみんなが私を信頼してくれたことがすごく力になりました。その結果、どんなショットもほぼ思い通りに決まり、いま思い出しても鳥肌が立つほど、あの時の自分は、はまっていたと思います。
トリノは二度目のオリンピック。ただポジションが違っていたので相当辛い思いやプレッシャーも感じましたが、そんな思いをしたのも、オリンピックという舞台だったからという気がします。メダルを逃したことは今でも本当に悔しい思いが残りますが、全ての現実を、そして全ての結果に真っ向から向き合える今の自分がいます。
トリノは二度目のオリンピック。ただポジションが違っていたので相当辛い思いやプレッシャーも感じましたが、そんな思いをしたのも、オリンピックという舞台だったからという気がします。メダルを逃したことは今でも本当に悔しい思いが残りますが、全ての現実を、そして全ての結果に真っ向から向き合える今の自分がいます。
小野寺 歩選手からのワンポイントアドバイス
基本練習+体を鍛えるトレーニングも大事です
カーリングは見た目以上にハードなスポーツですので、リンク以外でも様々なトレーニングをしました。ちなみに私がやっていたトレーニングをご紹介します。
(1)ランニング・・・持久力をつけるには、やはり走り込みが効果的だと思います。
(2)ウエイトトレーニング・・・独特の姿勢で重いストーンを操ったりするので、体造りも大切です。その為にはマシーンを使ったウエイトトレーニングも効果的です。
(3)ショットの練習・・・実際に高校時代はショットの練習を中心にチームでコミュニケーションの練習などをしました。
特にショットでは、本番の試合を想定してショットを決める練習や、苦手なショットの練習を、そのポジションのショットが決まるまで10投でも20投でも連続して投球しました。
(4)スウィープ・・・スウィーピングといって滑っているストーンの前をブラシで掃くことも大事な練習です。インターバル状態で吐き気が出るくらいやったことも何度もありました。
(5)イメージトレーニング・・・私なりのユニークな練習ですが、毎日寝る前にイメージトレーニングをやっていました。リンクでの歓声、アイスの状態、ストーンの性質、匂い等。本番を想定してショットを狙う。30メートル先のブラシを見つめ、イメージの中の自分が投球するんです。そして必ず成功させるとイメージしながら。すると、たまに本番でデジャブのように思うときがありました。そういうときは成功したものです。
カーリングの魅力は、チーム4人が一つ一つのショットをつなげ、どんなスーパーショットも4人みんなで、その役割を果たし決めるところです。最後の最後までどちらに勝敗がつくのか、わからないところも醍醐味ですね。また戦術面でも、そのショットには常に複数の選択肢があるので相手やチームの調子、アイスコンディションなどを伺いながら選択し、それが見事にはまり勝利したときは最高に面白いゲームでありスポーツだと思います。
(1)ランニング・・・持久力をつけるには、やはり走り込みが効果的だと思います。
(2)ウエイトトレーニング・・・独特の姿勢で重いストーンを操ったりするので、体造りも大切です。その為にはマシーンを使ったウエイトトレーニングも効果的です。
(3)ショットの練習・・・実際に高校時代はショットの練習を中心にチームでコミュニケーションの練習などをしました。
特にショットでは、本番の試合を想定してショットを決める練習や、苦手なショットの練習を、そのポジションのショットが決まるまで10投でも20投でも連続して投球しました。
(4)スウィープ・・・スウィーピングといって滑っているストーンの前をブラシで掃くことも大事な練習です。インターバル状態で吐き気が出るくらいやったことも何度もありました。
(5)イメージトレーニング・・・私なりのユニークな練習ですが、毎日寝る前にイメージトレーニングをやっていました。リンクでの歓声、アイスの状態、ストーンの性質、匂い等。本番を想定してショットを狙う。30メートル先のブラシを見つめ、イメージの中の自分が投球するんです。そして必ず成功させるとイメージしながら。すると、たまに本番でデジャブのように思うときがありました。そういうときは成功したものです。
カーリングの魅力は、チーム4人が一つ一つのショットをつなげ、どんなスーパーショットも4人みんなで、その役割を果たし決めるところです。最後の最後までどちらに勝敗がつくのか、わからないところも醍醐味ですね。また戦術面でも、そのショットには常に複数の選択肢があるので相手やチームの調子、アイスコンディションなどを伺いながら選択し、それが見事にはまり勝利したときは最高に面白いゲームでありスポーツだと思います。
※この記事は2007年7月に取材したものです。プロフィール等は取材時点のものですので、ご了承ください。
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