PROFILE
1969年9月3日生まれ。愛知県出身。中学生で講道学舎へ入門、世田谷学園高校から明治大学へ進学。卒業後は新日鉄に所属し、1992年のバルセロナオリンピック柔道男子78kg級で見事、金メダルを獲得。その後、アトランタ、シドニーと3度のオリンピックに出場。その他にも全日本選抜柔道体重別選手権や世界柔道選手権などで数々のタイトルを持つ。1997年から母校明治大学の柔道部の監督を務め、2002年の全日本柔道選手権への出場を最後に第一線から退き、「吉田道場」を設立、師範を務める。また同年、総合格闘技に参戦。現在は7カ所にある吉田道場での指導をはじめ、「VIVA JUDO!」という小学生を対象にした無料柔道教室を日本各地で開催、柔道の普及にも力を入れている。第30回「VIVA JUDO!」・・・日体大道場にて2008年12月14日開催
(吉田秀彦さん、瀧本誠さんも参加。詳しくはホームページで)
吉田 秀彦さんの学生時代は・・・
中学で講道学舎へ入門、そして柔道づけの毎日だった
小学校4年生の時、父に勧められて町内の道場に通い始めたのが最初でした。何も習いごとをしていなかったせいかもしれません。男の子ならやっぱり武道がいいんじゃないかということで、柔道を習わせたそうです。別に父が柔道をやっていたというわけではなかったんですが、僕の柔道には積極的で、中学の時に「講道学舎」を勧めたのも父でした。
講道学舎は、東京都世田谷区にある柔道の私塾で有名なところでした。でも、入門すると塾生は全員、世田谷区の弦巻中学から世田谷学園高校に通わなければいけないので、入門と同時に寮生活が始まりました。そして柔道づけの毎日も始まったんです。
学校では柔道部に所属していましたが、練習は講道学舎が主体で、毎朝5時40分~7時まで朝練習があり、その後学校へ。授業が終わると3時~5時までは柔道部で練習し、寮に帰って6時30分~8時くらいまでは講道学舎の練習が続きます。学校が休みの日は試合で遠征も多かったから、休みは年に2日程度でした。だから柔道しかやることがないというか、学生らしい遊びなんて何もしなかったし、知らなかったけど、同じ寮で生活する仲間とは友だちや兄弟以上の思いや絆のようなものがあったかもしれませんね。
講道学舎は、東京都世田谷区にある柔道の私塾で有名なところでした。でも、入門すると塾生は全員、世田谷区の弦巻中学から世田谷学園高校に通わなければいけないので、入門と同時に寮生活が始まりました。そして柔道づけの毎日も始まったんです。
学校では柔道部に所属していましたが、練習は講道学舎が主体で、毎朝5時40分~7時まで朝練習があり、その後学校へ。授業が終わると3時~5時までは柔道部で練習し、寮に帰って6時30分~8時くらいまでは講道学舎の練習が続きます。学校が休みの日は試合で遠征も多かったから、休みは年に2日程度でした。だから柔道しかやることがないというか、学生らしい遊びなんて何もしなかったし、知らなかったけど、同じ寮で生活する仲間とは友だちや兄弟以上の思いや絆のようなものがあったかもしれませんね。
柔道を通して学んだこととは・・・
耐えて我慢すれば、必ず結果がついてくる
とにかく毎日、練習に明け暮れていましたから、柔道はもちろん、精神面でも学び、成長できたと思います。特に「耐える、我慢する」。練習に耐えて我慢すれば必ずいいことがある、結果にあらわれる、ということを、練習や団体生活の中で学び、身につけていったのではないでしょうか。
高校時代の夢といえば、早くレギュラーになることでした。講道学舎の先輩や同期生には、強いライバルがたくさんいましたから。僕の2年先輩には古賀稔彦さんがいましたし、1年先輩には石田輝也さんがいましたから。特に石田先輩は同郷で、この人がいたから僕も講道学舎に入門したんです。そして高校卒業後は大学も会社も同じでしたから。やはり古賀先輩と石田先輩は、僕の柔道人生に大きな影響を与えてくれた人だと言えるでしょうね。当時はオリンピックなんて全くと言っていいほど意識はしていませんでした。ただ強くなること、レギュラーになることで一生懸命の高校時代だったと思いますね。
オリンピックを意識しだしたのは、大学4年生の頃からでしょうか。大学を卒業して新日鉄に所属しましたが、1992年のバルセロナオリンピックで金メダルという結果を出せたのも、中学、高校、大学を通して脇目もふらず柔道に打ち込み、耐えて我慢して練習を続けてきたからだと思っています。
高校時代の夢といえば、早くレギュラーになることでした。講道学舎の先輩や同期生には、強いライバルがたくさんいましたから。僕の2年先輩には古賀稔彦さんがいましたし、1年先輩には石田輝也さんがいましたから。特に石田先輩は同郷で、この人がいたから僕も講道学舎に入門したんです。そして高校卒業後は大学も会社も同じでしたから。やはり古賀先輩と石田先輩は、僕の柔道人生に大きな影響を与えてくれた人だと言えるでしょうね。当時はオリンピックなんて全くと言っていいほど意識はしていませんでした。ただ強くなること、レギュラーになることで一生懸命の高校時代だったと思いますね。
オリンピックを意識しだしたのは、大学4年生の頃からでしょうか。大学を卒業して新日鉄に所属しましたが、1992年のバルセロナオリンピックで金メダルという結果を出せたのも、中学、高校、大学を通して脇目もふらず柔道に打ち込み、耐えて我慢して練習を続けてきたからだと思っています。
吉田 秀彦さんからのワンポイントアドバイス
練習は集中が大事、そして諦めないこと
中学生で講道学舎に入門してから、柔道の練習はかなりレベルアップしてきたと思いますが、練習内容は小学生の頃と基本は変わっていません。例えば僕が柔道を習い始めたときの練習は、
(1)受け身・・・柔道は技をかけあうスポーツですから、互いに投げられることも多い。そこで自分の身を守るためにも受け身の練習は欠かせません。ちなみに僕は最初の3ヶ月間は受け身だけを練習していました。
(2)技の練習・・・体の大小に関係なく、技によって相手に勝てるのが柔道の面白さだと思います。そのためにあらゆる技を身につけ、磨いていくことが必要です。そして繰り返し練習すること。僕が最初に習った技は「大外刈」で、先生は当時、これしか教えてくれませんでしたね(笑)。
(3)組み合う・・・実際に相手と組み合い、技をかけたりかけられたり、受け身をしながら練習することが大事です。そして組み方や姿勢、動き方を身につけていってください。
以上の練習は柔道の基本で、講道学舎でも練習内容は同じです。他にも他の人の練習を見て、技や動きを憶えていくこともいいと思います。ただ練習に大事なことは、いかに集中してやるかです。長い時間をかけ特別な練習をすることが重要ではないと思います。何事も集中してやれば必ず身につくはずです。
そして選手(柔道家)にとっては、努力も必要ですが、負けず嫌いで諦めないという精神も大事な要素です。
(1)受け身・・・柔道は技をかけあうスポーツですから、互いに投げられることも多い。そこで自分の身を守るためにも受け身の練習は欠かせません。ちなみに僕は最初の3ヶ月間は受け身だけを練習していました。
(2)技の練習・・・体の大小に関係なく、技によって相手に勝てるのが柔道の面白さだと思います。そのためにあらゆる技を身につけ、磨いていくことが必要です。そして繰り返し練習すること。僕が最初に習った技は「大外刈」で、先生は当時、これしか教えてくれませんでしたね(笑)。
(3)組み合う・・・実際に相手と組み合い、技をかけたりかけられたり、受け身をしながら練習することが大事です。そして組み方や姿勢、動き方を身につけていってください。
以上の練習は柔道の基本で、講道学舎でも練習内容は同じです。他にも他の人の練習を見て、技や動きを憶えていくこともいいと思います。ただ練習に大事なことは、いかに集中してやるかです。長い時間をかけ特別な練習をすることが重要ではないと思います。何事も集中してやれば必ず身につくはずです。
そして選手(柔道家)にとっては、努力も必要ですが、負けず嫌いで諦めないという精神も大事な要素です。
※この記事は2008年10月に取材したものです。プロフィール等は取材時点のものですので、ご了承ください。
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