【特集】村田修一選手からの高校生へのメッセージ | 日本の学校

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アスリートからの熱いメッセージ

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村田 修一選手 プロフィール

村田 修一選手

プロ野球選手(横浜ベイスターズ所属)

PROFILE

1980年12月28日生まれ。福岡県出身。小学生時代から軟式野球を始め中学時代はボーイズリーグに所属。東福岡高校に進学後は野球部に入り、ピッチャーとして春夏連続で甲子園出場を果たす。日本大学経済学部に進学後は野手に転向し、3年時には1シーズン8本塁打を記録するなど屈指のスラッガーとして活躍した。2002年のドラフト自由枠で横浜ベイスターズに入団し、2003年には新人としては日本記録となる月間10本塁打、104試合で25本塁打を打ち活躍。2006年からは4番を務め好成績を残している。また、同2006年には日米野球の日本選抜、2008年には北京オリンピックの日本代表、そして2009年にはWBC日本代表として活躍し、WBCでは2連覇へ大きく貢献した。

村田 修一選手の学生時代は・・・

甲子園にはピッチャーで出場、大学進学後に野手に転向しました

村田 修一選手写真
 小学校時代、校庭でみんなが遊んでいた野球が楽しそうだったので、「野球をやりたい」と言って、3年生のときから始めました。最初は軟式野球チームに入り、中学校に進学してからはボーイズリーグ「粕屋フェニックス」というチームに入っていました。とにかく野球が大好きで、作文にも「夢はプロ野球選手!」と書いていました。

 高校時代は、甲子園を目指して野球ばかりの毎日でした。年末年始の休み以外は毎日練習に明け暮れていましたね。でも、たまたま九州大会が沖縄で開催されることになり、初めて沖縄に行けたときは、野球部員にとっての修学旅行みたいで嬉しかったです。そしてもちろん、春夏と連続で甲子園に出場できたことや、横浜高校の松坂大輔選手と投げ合えたことも忘れられない青春時代の思い出です。

 高校時代はピッチャーとして甲子園に出場しましたが、日本大学進学後からは野手に転向しました。高校時代にプロの世界へ進む話をいただきましたが、これからは野手でやっていきたいという気持ちがあり、それなら大学で野手として充分に力をつけてからでも遅くはないと思い、進学の道を選びました。だから転向後は、野手として基本中の基本から勉強し、練習を重ねる毎日でした。最初の2年間は苦労しましたが、3年生頃からやっと記録も出せるようになってきたし、自分なりに力がついて、チームでも活躍できるようにもなりました。その頃からですね、真剣にプロの世界を意識できるようになったのは。

プロの世界へ、そして世界の舞台へ・・・

横浜だからこそつかめた、北京、WBCのビッグ・チャンス!

村田 修一選手写真
 横浜ベイスターズに入団してからは不調や怪我という局面もありましたが、僕が望んでいた通り試合にも出していただけて、1年目の後半からはレギュラーに定着することができて嬉しかったです。このチームに入団できて良かったと実感しました。試合で使ってもらえたからこそ、北京オリンピックやWBCの日本代表というチャンスもつかむことができたんです。

 今年で7年目を迎えるプロ人生の中には、印象深いものがたくさんあります。例えば今年のWBCもそのひとつです。日本代表ということでユニホームも違うし、周りを見れば日の丸がやたらと目について、日本代表ということを意識させられました。そのうえ短期決戦だし、いつものリーグ戦とは気持ちの持って行きようも違いました。常に全力投球の連続で、選手たちもリラックスしているように見せていますが、緊張感はすごいものでした。その中で、試合中に怪我をして日本に帰らなければいけなくなったときは悔しかったけど、全力投球をした結果だと納得もできました。でも、その後の8月に2度目の怪我をしてチームを離れたときは堪えました。今までの野球人生で一番辛かったです。

 そして、僕の野球人生で一番忘れられないシーンが、2007年10月、広島で行われた広島東洋カープの佐々岡選手の引退試合です。「本気で打ってくれて構わない」と言ってくれた言葉と、そのときのホームランは忘れられません。小学生から野球をやってきてあんな経験はなかったし、200本以上のホームランを打ってきましたが、あのシーンでのあの1本は、何よりも印象深く重みのあるホームランでした。そして、あのシーンがあったからこそ初の本塁打王になれたし、翌2008年には2年連続で本塁打王を獲得することができたんだと思います。

村田 修一選手からのワンポイントアドバイス

毎日できる、小さなことから積み重ねていく

村田 修一選手写真
 僕は高校まではピッチャーで、大学から野手に転向したので練習内容も変わりました。ピッチャー時代は、ボールを投げて走って、肩を壊さないような投げ方を身につけることを重点的にやっていましたが、野手に転向してからは守備練習の基本からスタートしました。例えば高校時代の練習は
(1)ランニング
(2)キャッチボール
(3)ブルペンに入って投球練習(高校時代はすぐ肩が疲れるため、10球投げたら100m走って肩を休め、また10球投げる。)
というメニューを毎日、朝夕と繰り返してやっていました。そして大学時代の練習は
(1)守備の基本練習・・・転がってきたボールを地面につけたグローブで取るという初歩から始めました。
(2)バッティング・・・野球の筋肉はバットを振ることによって鍛えられると思っていたので、人より重いバットを使っていました。
これが基本メニューでした。他にも個人的にやっていたのが
(1)入浴中は、水中でカマボコ板を使って水をかいて手首を鍛える。
(2)入浴後のストレッチは、体も温まっているので筋肉も伸ばしやすく、負担もかからないので効果的。
などがあります。細かく言うと、ポジションによって練習内容も違ってきますが、全てにおいて言えることは、野球の基本を忠実に継続することが一番大事なことだと思います。特に初心者へのアドバイスは、毎日できる僕のカマボコ板練習や風呂上がりのストレッチなど、小さなことから積み重ねて継続していくようにしてください。きっと自分の力になっていくはずです。

村田 修一選手からみんなへメッセージ

好きという気持ちを、大切にして欲しい

村田 修一選手写真
 僕は野球が大好きでやっていたから、これまで長く続けてこられたんだと思います。好きだからこそ、「人よりうまくなりたい!」という向上心も持てたし。人生って、何だっていいから好きという気持ちを大切にすることで楽しくなれるんじゃないかと思います。スポーツにしても、好きだからこそ、辛くてもしんどくても辞めずに続けていけるんです。だからプロとしての今があるんです。みなさんも、好きという気持ちを大切に学生時代を過ごしてください。そして将来の目標、夢に向かって向上心を持ち続けてください。

 僕の向上心は、チームを最強にすること。また来期は30歳を迎える節目のときですから、怪我のない最高のかたちでシーズンを終えたいですね。

※この記事は2009年11月に取材したものです。プロフィール等は取材時点のものですので、ご了承ください。

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株式会社JSコーポレーション 代表取締役社長 米田英一