【特集】中西悠子選手からの高校生へのメッセージ | 日本の学校

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アスリートからの熱いメッセージ

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中西 悠子さん プロフィール

中西 悠子さん

元競泳選手 アテネオリンピック銅メダリスト

PROFILE

1981年4月24日生まれ。大阪府出身。0歳からベビースイミングに通い、7歳から本格的に競技を始める。中学校時代から太田伸コーチの指導を受け、大阪成蹊女子高校1年生の時に日本代表に選ばれる。その後、スランプを経験するも、近畿大学に進学後の19歳でシドニーオリンピック代表に選出。200mバタフライで自己ベストを出し7位入賞。その後、2003年の世界選手権、2004年のアテネオリンピック、2005年の世界選手権では見事、銅メダルを獲得する。大学卒業後は枚方スイミングスクールに就職し、2008年の日本短水路選手権では200mバタフライで世界新記録を達成。そして同年4月の日本選手権で100m、200mで日本記録を出し3大会連続で五輪代表に選出され北京オリンピックに出場。2010年に引退、現在は枚方スイミングスクールでコーチングスタッフとして活躍する。

中西 悠子さんの学生時代は・・・

いつか彼女に勝ちたい!それが目標だった

中西 悠子さん写真
 私は0歳からベビースイミングに連れて行かれていたので、物心ついた時にはすでに水の中っていう感じでした(笑)。だから水を怖がることもなかったし、楽しみながら泳いでいたんでしょうね。子どもの頃はどちらかというと活発な女の子でしたが、水泳以外にもピアノや絵などを習ったりもしていました。でも引っ越しもあって長続きはしなかったんです。競技を始めたのは7歳の頃からでしたが、当時は水泳の楽しさというよりもタイムを縮められることの面白さみたいなものが一番でした。小学校の頃は週に3回くらいスクールに通っていましたが、もう水泳は生活の一部みたいに感じていたんだと思います。最初は個人メドレーで競技をしていましたが、小学校の高学年の頃にはもうバタフライで行こうと決めました。理由は、ただ得意で速かったからなんですけど(笑)。
 中学生になって、その後も長いおつきあいになる太田コーチの指導を受けることになりました。14歳からですから本当に長い時間を一緒に過ごしてきました。時には父であり、そして厳しい指導者です。一言で言うと粘り強いコーチですね。お陰で私も粘り強い選手に育てていただいたと思っています。そのコーチの元で毎日練習を積んでいましたが、当時の私にはひとつの目標がありました。それは同じ中学生でオリンピックに出場した青山さんという選手に勝つこと。彼女は100mバタフライだったんですが、いつか彼女に勝ちたい、日本一になりたい、そしていつか世界一にという思いで頑張れたのは素晴らしいライバルの存在があったからだと思います。
 そして高校に進学。1年生の時は初めて日本代表に選ばれたこともあって、競技においても順調に伸びていた時期だったんですが、2年生になってからはベストも出せないようになりスランプを経験しました。私自身も辛い時期でした。泳ぎたくないのに何故練習しているんだろうと思ったことも。そして2、3年の時は日本代表にも選ばれなかったし。でも、粘り強く見守り、応援してくれたコーチの言葉もあって、「もう少し頑張ってみよう」、「私のスランプなんか日本のトップ選手に比べたらたいしたことはないかも」と少しずつ思えるようになっていきました。

スランプからの脱出、そして憧れのオリンピック出場へ

水泳って楽しい、そう思えたことがメダルにつながった

中西 悠子さん写真
 でも一番のスランプ突破口は高校3年生の時にジュニアの遠征に選ばれたことですね。そこには現在も日本の第一線で活躍する選手やオリンピックに行った選手達も参加していて、あの北島康介選手もいました。その時に初めて「水泳って楽しい!」と実感できたんです。みんなとも仲良くなり「来年のオリンピックにはみんなで行こうぜ!」なんて言って。北島選手とも一緒に練習しました。当時から彼は有名だったんですが、初めて一緒に泳いでみて彼の凄さを実感しました。でも、そんなすごい選手達と一緒に泳げたことで、競技への欲がどんどん出てきたんです。一緒にオリンピックに行きたいと強く思いました。この遠征の楽しさがスランプを忘れさせてくれました。
 そして大学生になり19歳の時、再びチャンスがめぐってきました。高校時代に日本代表には選ばれていましたが、スランプも経験しました。だから2度目の日本代表はすごくうれしかったですね。実際、いろんな大会の優勝経験者でも選考会で結果を出せない選手だっているんです。4年に1度のチャンスをものにできなかった選手をたくさん見てきました。でもそれがオリンピックなんです。だからこそ、その舞台に立てることの重みを選手達はみんな知っているんだと思います。
 私の初めてのオリンピックは2000年のシドニーでした。開会式に出たのもシドニーだけでしたが、何万人という観衆が埋め尽くした会場を後進する気分は特別でしたね。特に五輪のマークをあんなに実感できたのも初めてでした。イベントとしてもやはりスケールが違いますし。この中で競技をするんだという緊張感は大きかったですね。前の日はなかなか眠れませんでした(笑)。ストレッチしていて肉離れしちゃったのも緊張しすぎたからだと思います。そして2度目のアテネの時は「メダルをとらないと帰れない」というプレッシャーもありましたから、違う意味の緊張がありました。ただ、レースに関しては2度目は冷静でした。自分のペースで泳げたし、戦略も決めていたので冷静に泳げたことがメダルにつながったんだと思います。また、アテネではメダルも多かったし、北島選手の平泳ぎと同じ日程が多かったんです。彼がメダルをとり「君が代」を聞いて送り出してくれるみたいな感じがして、勇気をもらえたことも、私のパワーになったんだと思います。

中西 悠子さんからのワンポイントアドバイス

バタフライはタイミングと柔軟性がポイントです

中西 悠子さん写真
 私は学校の水泳部にも所属はしていましたが、練習は枚方スイミングスクールでやっていました。高校時代は週6日の練習スケジュール。そのうち3日は1回で1万メートルを泳いでいました。もちろん泳ぐことは大事な練習ですが、それ以外にも大事なことはたくさんあります。
(1) ウエイトトレーニング・・・腹筋に背筋、けん垂にベンチプレスなど。特に腹筋・背筋はどのスポーツにも必要となるものだと思います。各部位の筋肉を強化することによって、瞬発力や持続力を鍛えます。特に水泳競技にはバネのような柔軟性と水の抵抗にも負けないパワーを身につけることが重要です。
(2) ランニング・・・水泳選手は陸上競技が苦手な人が多いのですが、走ることは基本です。下半身の強化とともに持続力も身につけることができます。
(3) ストレッチ・・・柔軟な体を作ることは競技にプラスになるだけでなく、怪我の予防にもなります。

そしてバタフライのポイントはというと、
(1) タイミング・・・泳ぎの中でもキツいとか、腰に悪いというイメージをもたれがちですが、体を動かすタイミングさえしっかりしていれば難しいことではありません。ただクロールのように片手ずつ使う泳ぎと違って、平泳ぎやバタフライは両手で同時に水をかくのでタイミングが狂いやすい泳ぎでもあります。もちろんタイムにも響いてきます。それだけに体を動かす、呼吸するといったタイミングをしっかりと身につけるようにしてください。
(2) 柔軟性・・・特にバタフライには肩や腰がやわらかい方が得だといえます。動きが固いと可動域が狭くなってしまうので、体も苦しいし速度も出なくなります。そのためにはストレッチをしっかりするようにしてください。

私がアドバイスできる練習のポイントは以上ですが、後は根気と自分に勝つ厳しさですね。チームスポーツと違って水泳は個人スポーツだし水の中の景色も常に同じ。はっきり言って楽しいと感じることの方が少ないかもしれません。でも上手になりたい、強くなりたいという気持ちを持ち続ける根気と、自分に負けない厳しさが必要なんだと思います。

中西 悠子さんからみんなへメッセージ

目標に向かって、ひとつずつクリアしていくことの大切さ

中西 悠子さん写真
 私は競技者としての現役を離れましたが、今まで自分が水泳というスポーツに関わってきて学んだこと、経験したことがたくさんあります。もちろんオリンピックもそのひとつです。でも、そこにたどり着くために、目標を持ち、ひとつずつクリアしていくことの大切さを感じました。時には挫折もありスランプもありましたが、自分が何をしたいか、どうなりたいのかをいつも明確に持っていたから迷わなかった。私は普通の高校生のような経験や学生生活はなかったけれど、同じくらい楽しく貴重な高校時代を送ったと思います。今後は指導という立場で、水泳の面白さはもちろん人間としての姿勢を伝えていけたらと思っています。北島選手は競技だけでなく人間性も素晴らしいから尊敬できる存在でもあると思っています。私も人に感動を与えられる、人間としてお手本になれる存在であり続けたいと考えてきました。また、これからもそうありたいと思っています。 みなさんも自分のための目標を持ってください。そして、そのためには何が必要なのか考え、自分をよく知ることも大事なことだと思います。時間がかかっても、目標や夢への階段をひとつずつクリアして登っていくから楽しさもあるんだと思います。みなさんも、そのプロセスを楽しんでください。

※プロフィール等は2011年3月時点のものです。

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株式会社JSコーポレーション 代表取締役社長 米田英一