【特集】朝原宣治選手からの高校生へのメッセージ | 日本の学校

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アスリートからの熱いメッセージ

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朝原 宣治選手

朝原 宣治選手

陸上選手(大阪ガス所属)

PROFILE

1972年6月21日生まれ。兵庫県神戸市出身。中学時代はハンドボール部に所属し全国大会に出場。陸上を始めたのは夢野台高校入学から。高校3年時には走幅跳でインターハイ優勝を果たす。当初は走幅跳専門だったが、1993年の国体で100mの日本記録を出し優勝。その後、スプリンターとして注目されるようになり、1996年には10秒14、1998年には10秒08と日本記録を3回更新した。またオリンピックの100mには1996年のアトランタから3回連続出場し、アトランタでは準決勝に進出。そして世界陸上の100mでは2007年大阪大会を含め4度の準決勝進出。また4×100mリレーでは2004年アテネ五輪で4位入賞、2007年世界陸上大阪大会ではアジア記録・日本記録を打ち出し5位入賞を果たしている。そして今、自己ベスト10秒02をもつ日本期待のスプリンターは、来る2008年の北京五輪にむけて走り出した。

朝原 宣治選手の学生時代は・・・

部活の厳しさが、頑張る力を養った

朝原 宣治選手写真
小学校の頃はサッカーや野球が大好きで、中学に入学したらサッカー部に入ろうと思っていたくらいです。でも僕の通っていた中学校にはサッカー部がなくて、ハンドボール部が強いと聞いていたので友達と入部したんです。子どもの頃から走るのは結構速くて、中学の運動会でも陸上部と競っていたりしたんですが、その頃はただ走っているだけのことに楽しさを感じなかったんですよ。だから僕が陸上を始めたのは高校に進んでからです。
中学時代の部活動は、とにかく厳しくて、土日もほとんど休めなかったので中学時代は学生生活より厳しかった練習の記憶しかないんです。でも、この厳しさがあったから強くなれたんでしょうね。もともと僕は、楽しんでスポーツをやりたいタイプだったんですが、今思えば中学時代の経験があったから頑張る力がついたんだと思います。
でも「高校では楽しんで部活動をしたいなぁ~」という気持ちがすごくありましたね。そんな気持ちにぴったりだったのが、友達と顧問の先生が誘ってくれた陸上部だったんです。高校で陸上部に入って、最初は中学時代の部活とのギャップはありましたが、自由にのびのびとスポーツを楽しむことができました。自分のやる気と競技に対する楽しみを初めて知ったのがこの頃です。でも当時は走幅跳の選手もそんなにはいなくて、練習も我流でやっていたのであまり伸びなかったんですよ。そんな時、試合で僕の走りなどを見てくれていた神戸市などから合宿に呼んでもらったりして、そこで多くの先生方の指導を受けることができたのもラッキーだったと思いますね。
高校時代の思い出といえば、やはり学生生活よりも陸上になってしまいますが、試合の遠征が楽しかったですね。中でも高校3年生の時にアジアジュニア選手権で初めて海外に行ったことはすごく思い出に残っています。昔からすごく海外への憧れがあって、将来はツアーコンダクターとか商社マンなど海外で仕事がしたいと思っていましたから。場所は北京だったんですけど、日本を一歩出ると言葉や文化、習慣や匂いまで違ってくることにカルチャーショックを受けてますます海外志向が強くなったのを覚えています。

朝原選手の現在の夢は・・・

生涯2度目の北京で、決勝を走りたい!

朝原 宣治選手写真
高校時代、インターハイでの優勝もありましたが、スポーツの世界に進もうとは思っていませんでした。もちろんオリンピックなんて思いもしなかった頃です(笑)。ただ海外で仕事をしたかったので、大学進学のときも陸上で関東の大学からの誘いもありましたが就職を考えて同志社大学へ進みました。学生時代は走幅跳と100mを並行していて、大学3年の国体で100m優勝(当時の日本記録)したんですが「自分の実力以上の記録が出てしまっただけだ」と思って、まだ100m専門でいこうとは考えなかったんです。卒業後に留学したドイツでも跳躍(ちょうやく)のコーチについていましたから。100mに専念するようになったのは1999年に怪我をしたことがきっかけでした。踏切足を痛めてしまったので、そのリハビリもかねて走りに集中していたら記録が伸びていったんですよね、不思議と。
学生時代は考えもしなかったオリンピックでしたが、3度のオリンピックを始め世界陸上などに出場できたことはすごく貴重な経験であり財産だと思っています。僕にとって走ること、スポーツの魅力は、厳しい練習を積んで自分の体がわかってくると次は自分の体をコントロールする楽しさです。そしてその結果、記録が出て、他の人に勝つこともできた。そのプロセスと結果が楽しいですよね。だから、もっと走りたいと思っています。目標は2008年の北京オリンピックです。高校3年の初の海外遠征以来の北京ですが、その舞台で100m決勝のトラックに立つこと。これが、今一番の目標であり確かな夢ですね。

朝原 宣治選手からのワンポイントアドバイス

かけっこが速くなる極意はコレ!

朝原 宣治選手写真
僕も高校時代、見よう見まねの我流でやり始めましたが、高校時代は体が何でも吸収するときです。自分で考えて選択し、いろいろ試してその中からベストを見つけてください。今回は、速く走るためのアドバイスをしたいと思います。
(1)タイミングをつかむ・・・地面に足をつくタイミングによって走るスピードが変わってきます。たとえばスキップやキャッチボールといった遊びの中のいろんな動きを体験してつかんでください。
(2)体の力を抜く・・・特にスタートの時には力が入りがちですが、手のひらから肩にかけて力みすぎると腕周りの筋肉が固まってしまい腕ふりがスムーズにできず走りのリズムが崩れます。首や肩をぐるぐる回して力を抜く、足をぶらぶらさせて足首をリラックス。体の末端にいくほど力を抜くことが大切です。
(3)ボールが弾むように走る・・・ボールとは体の重心を意味し、速く走る為には重心が心地よく前に運べるフォームが重要です。台を使って両足で飛び降りたり飛び乗ったり、地面をジャンプしていくボックスジャンプをお勧めします。足首の力を抜いてバネにするように続けてください。
(4)一歩一歩を踏みしめる・・・特にスタートは一歩一歩を踏みしめてだんだんスピードをあげることが大切です。そしてスタートのかまえでは、前足のスネの角度を決め、地面に力を伝える一歩を踏み出すようにしましょう。
(5)母指球で着地・・・足裏全体で着地するマラソンに比べ、短距離は足裏の母指球で着地するように意識しましょう。速く走る為にはかかとから着地していてはタイミングが遅れます。クッションの上での片足立ちや砂浜を裸足で走るなど、足裏のバランス感覚を高めてください。
(6)体を一本の軸にする・・・足を後ろに蹴らず体の真下に足を着いていく走り方をマスターしましょう。軸を意識して下り坂を走るのが効果的です。
(7)2本のライン上に足を着く・・・肩幅よりやや狭い2本のラインをイメージして、左右の足をラインに着地するように走ることでスピードのロスを防ぐようにしましょう。
(8)足で地面をつかまえる・・・加速の走りでは足で地面をすくい体の下に引きよせるイメージで走りましょう。上り坂を走って前に足をしっかり着いていく練習が効果的です。
以上は速く走るポイントを並べましたが、それ以外にも体の中心(背筋や腹筋)を鍛えることも大切です。詳しくは「朝原宣治のだれでも足が速くなる」(学研スポーツブック)を読んで練習の参考にしてください。

朝原 宣治選手からみんなへメッセージ

挑戦する、経験することが大事

朝原 宣治選手写真
 僕は通算5年間ドイツで練習してきましたが、留学を決めたときは僕なりに大きな決断でした。当時、走幅跳では8mを超える記録を持っていましたから日本でもやっていけたかも知れません。でも、ドイツに行きたかった。それは僕の昔からの海外志向も影響していたと思いますが(笑)、何より挑戦してみたかったからです。それまで、日本人でヨーロッパでトレーニングしてきた人はいましたが、思うように結果があがらなかったんです。だからこそ、その環境の中で結果を出したかった。僕が第一人者になりたかったんです。確かに遠征などと違って海外で生活するという大変さやリスクもありましたが、大変だからこそちゃんとこなせる人になりたいと思って、その気持ちがモチベーションにもなりました。そして、いろんな意味での自分の自信につながった、大きな経験です。みなさんにも、いろんな意味での経験をたくさんして欲しいですね。

※この記事は2007年10月に取材したものです。プロフィール等は取材時点のものですので、ご了承ください。

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株式会社JSコーポレーション 代表取締役社長 米田英一