【特集】内藤大助選手からの高校生へのメッセージ | 日本の学校

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アスリートからの熱いメッセージ

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内藤 大助選手 プロフィール

内藤 大助選手

プロボクサー 元WBC世界フライ級王者 元日本フライ級王者 元OPBF東洋太平洋フライ級王者 宮田ジム所属

PROFILE

1974年8月30日生まれ。北海道出身。北海道豊浦高校時代はハンドボール部に所属、卒業後に上京し宮田ボクシングジムに入門。1996年にプロデビューし、1998年12月に全日本フライ級新人王を獲得。その後2004年に日本タイトルマッチ史上最短となる1R24秒KO勝ちで日本フライ級王座を獲得。2006年には日本・東洋太平洋王座の2冠を達成。そして2007年には日本・東洋太平洋王座を返上し、3度目の挑戦で見事、WBC世界フライ級王座を獲得した。著書に「いじめられっ子のチャンピオンベルト」(講談社)がある。

内藤 大助選手の学生時代は・・・

萎縮していた自分、でも新しい扉を開けるのも自分

内藤 大助選手写真
 僕は母子家庭で育って、母はいつも仕事で忙しかったし厳しい人だから、怒られたことはあっても未だに褒められたことはないですよ(笑)。僕の相手をしてくれたのは、いつもおばあちゃんでした。そのせいか子供の頃からすごい寂しがり屋なんです。小学校の頃は少年剣道団に入り、中学校でも大して好きでもなかった卓球部に入ったのは、もちろんスポーツが好きだったこともあったけど、一番は友だちとできるだけ一緒にいたかったから。でも常に心の奥底では「母にかまってもらいたい、褒められたい」という思いがあったんだと思います。子供なりに元気でいい子でいようって思っていたんですよ。ところが、そんな僕の環境が大きく変わったのは中学に入ってから。それが保育園から一緒だった幼なじみによるいじめでした。昔は仲がよかったし親同士だってよく知っている間柄なのに。中学2年で同じクラスになると、幼なじみがいきなりいじめっ子に変身したんです。原因は何だったのかわかりませんが、ひょっとしたら小さいときから知っている仲だからこそ、ライバル心みたいなものがあったのかもしれませんね。彼の方が体も大きかったし、気づいたら力でねじ伏せられていました。お古の制服をからかわれたり、我が家の貧しかったことでいじめられたりもしました。苦しい時代でした。いじめから解放されたのは高校に進学してからでした。もともとスポーツは得意だったこともあって、体育の授業でみんなが「おまえ、すごいな」なんて声を掛けてくれて、うちとけていくと友だちもたくさんできた。いじめで萎縮していた中学時代。自分の運命を受け入れるしかないと諦めてしまっていた僕が、恐る恐るでも一つひとつ扉を開けると、新しい自分になれるんだと思えるようになっていきました。

高校卒業後に上京、そこで出会ったボクサーへの道

何度も挫折を乗り越え、手にしたチャンピオンベルト

内藤 大助選手写真
 高校時代は楽しかったけど、就職の内定が取消しになったことですごく落ち込みました。半分母に追い出されるように上京し、兄が務めていた木工所でアルバイトをしました。でも自暴自棄っていうのかな、心のどこかで「僕は生まれつき不幸なんだ。」っていうくらい、ふてくされていました。そんなある日、雑誌を見て急に「ボクシングをやりたい!」と思ったんです。僕にとって最初はケンカの道具くらいしか思ってなかったし、今までいじめた奴らをみかえしてやりたいという気持ちもあったんでしょうね。そして宮田ジムに入って、最初はスパークリングが怖くてね。でも、いじめられたことを考えたら怖くなかった。何だって我慢できると思えたから。でもボクシングに打ち込むうちに、いじめを段々と忘れられたんです。そしていつしか「プロボクサーになりたい!」と思えるようになり22才でプロテストを受けました。早くはなかったけど(笑)。ただいつも頭に「目標を持ちなさい」という言葉があったし、一歩ずつ進めばいいと思っていましたから。だからデビューしたら新人王、次は日本チャンピオン、そしていつかは世界チャンピオンを狙いたかった。でもその挑戦は簡単ではなかった。最初の日本タイトル挑戦では「勝てた!」と思ったのにドロー。最初の世界タイトル挑戦も1ラウンド34秒KO負け。悔しさはもちろん、応援してくれた人たちにも申し訳なくて。その2年後に再び挑戦して念願の日本タイトルを取りました。当初、日本チャンピオンになったら辞めてもいいと思ってたいんです。ところが自分の中でまだ完結していないものがあった。そう、世界タイトルです。でも2度目の挑戦も負傷判定で完敗。もう本当に引退だと自分では決めていましたが、引退旅行のつもりで行ったフィリピンで、スパークリングパートナーの言葉で気持ちが楽になり、またこの仲間とボクシングをやりたいと思ったら辞められなかった。そして3度目の挑戦、何度も挫折を味わい、自分の中の葛藤もあったからこそ、悲願の世界タイトル、チャンピオンベルトは重いものでした。

内藤 大助選手からのワンポイントアドバイス

技術よりもスタミナがものを言うのがボクシング

内藤 大助選手写真
 僕はボクシングを始めたのが20才と遅かったので、高校生のみんなとは体力も違うでしょうが、ボクシングができる体を作るトレーニングは同じです。僕の場合はあるトレーナーと出会い、よそのジムの合宿に参加させてもらったことがトレーニングの大きなプラスになりました。その経験から僕がアドバイスできることは・・・
(1) ロードワーク・・・ボクシングに一番大事なスタミナを身につけるには、やっぱり走り込むことが大事です。パンチを打つにしても、防御するにしても、スタミナが切れたらできなくなるんです。だから大事なのはスタミナなんです。僕もやたらと走っていましたね。
(2) マスボクシング・・・軽いスパークリングですが、スタミナはもちろん集中力を鍛える練習になります。僕の場合はインターバルなしで2時間ぶっ続けでやっていました。よくそんなこと出来たなと思うけど、世界に挑戦するっていうことは、そういうことなんだと思います。

ボクシングの基本トレーニングって、この2つが一番大事だと思いますよ。スポーツの基本は走ることだって言いますが、ボクシングも同じです。ちなみに僕は合宿に行くと、朝はアップダウンのコースを10km走り、中練習があって、また午後練習でした。どんなスポーツでも技術は大事ですが、特にボクシングは技術よりスタミナがものを言うスポーツなんですよ。

内藤 大助選手からみんなへメッセージ

僕は、応援される喜びを忘れたくない

内藤 大助選手写真
 ボクシングと出会っていなかったら、今の僕はなかったと思います。それだけ僕自身マイナス思考だったし、不幸だとも思っていました。でもボクシングが僕に自信を持たせてくれた。頑張る意欲を奮い立たせてくれたんです。でも僕がチャンプになれたのは自信が持てたからだけじゃない。ボクシングで応援される喜びを実感できたこと、そして家族や回りの人たちの支えがあったからです。一人で出来ることは何もない。だから自分一人で手にした世界タイトルじゃないといつも思って感謝の気持ちを忘れたくない。人は何故頑張れるのか、どうして苦しいのに続けるのか。もちろん目標や夢があるからですが、僕はそれプラス、応援してくれる人たちがいるから。その人たちを喜ばせることが好きだから頑張れるんです。みなさんも将来どんな世界へ進むにしても、何故この道が好きなのか、何がうれしかったのかを忘れないで、感謝できる人でいてください。

※プロフィール等は2011年6月時点のものです。

長谷川 穂積さん
長谷川 穂積さん(元プロボクサー)
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入江 聖奈選手(ボクシング選手)
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高山 勝成選手(ボクシング選手)
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内山 高志選手(ボクシング選手)
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清水 聡選手(ボクシング選手)
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株式会社JSコーポレーション 代表取締役社長 米田英一