フェンシング選手 自衛隊体育学校所属 ミキハウス所属 2020東京オリンピックフェンシング男子エペ団体金メダリスト |
|
![]() | |
|
※プロフィール等は2021年9月時点のものです。
![]() フランスで生まれたといわれるフェンシングにはフルーレ、エペ、サーブルと3種目ありますが、その中でもフェンシングの元になったと言われているエペは競技人口も一番多い種目です。したがってエペで頂点を取ればフェンシングの真のチャンピオンになれるという魅力も感じました。また競技としてはすごくシンプルで、先に突いた選手にポイントが入るというルールもわかりやすくていい。見ている方も楽しいと思います。でも競技者にとっては、シンプルだからこそ駆け引きが難しくて面白いんです。この頃からフェンシングの本当の面白さを感じるようになったと思います。 中学時代は学校にフェンシング部はないので、バスケット部に入り、週に2回だけフェンシングの練習に通っていました。でも高校進学は、フェンシングの優れた指導者がいると聞いていた地元の鳥羽高校に進みました。 | |
![]() 日本大学の監督の教えは、競技力だけじゃなく人間性も大事にするというものでした。僕は高校までフェンシングでは敵なしの状態だったので、周りのことを考えない自分勝手な部分があったと思います。その考えを指摘し変えてくれたのも、今の僕を作ってくれたのも当時の監督と日本大学でした。やがて大学チャンピオン、全日本選手権、アジア選手権、世界選手権と目標を一つクリアするたびに、どんどん夢は大きくなっていきました。そんな中、在学中の2014年、世界ジュニア・カデで日本人初となるエペ優勝は大きな自信とモチベーションになりました。 また、オリンピックを意識するようになったのもこの頃だったかもしれません。特に2016年のリオデジャネイロオリンピックに、スパーリングパートナーとして同行させてもらったことで、オリンピックへの意欲が膨らんでいきました。そのためには何をするべきかを考えるようになり、卒業後はフェンシングに集中できる環境を求めて自衛隊体育学校に来ました。そして2020年、ハンガリーで開催されたグランプリ大会で優勝した時、東京オリンピックの個人出場が決まりました。ただ東京オリンピックは難しい状況下で、多くの皆さんの協力により開催された特別な大会だったと思います。これまでの大会と違い観客や声援もなかったことで、少し寂しい雰囲気はありました。でも選手にとって、会場と選手村を往復するだけの毎日で、主催者側のスムーズな対応や、ボランティアの皆さんの笑顔には、たくさんの勇気と励ましをいただきました。そしてエペ団体で初の金メダルを獲得できたのも、そんな皆さんの応援と協力があったからだと思います。 | |
![]() (1)フットワーク・・・ウォーミングアップの柔軟運動をしたら、まずはフェンシング独特の足の動きの練習をします。フェンシングは細長いピスト上を前に後ろにと素早く動きながら戦います。そのためには下半身と脚力を鍛え、フットワークを磨く必要があります。この時、上半身や腕の位置などフォームも確認しながら練習します。 (2)レッスン・・・2人1組で行う動作確認です。パートナーに動きを見てもらいながら技を磨く基礎練習です。この時、ポジションや構え方、相手との距離感や突き方もしっかり確認することが大切です。 (3)ファイティング・・・2人1組で行う実践練習です。実際の対戦をイメージして行います。フットワークやレッスンで鍛えてきた動きを確認しながらの練習です。 練習内容は以上ですが、練習以外で僕が心がけていたことは、リズムを壊さないことでした。例えば生活リズムにおいても朝はちゃんと起きて3食しっかり食べるようにしていました。体を作ることはもちろんですが、精神面とのバランスを大事にすることにもなっていたと思います。でも一番大事なことは、練習もフェンシングも楽しむこと。そして同じフェンシングに打ち込む友達との時間を大事にして、互いに切磋琢磨することで上達できたし自信にもなりました。 フェンシングは流れが大事なスポーツです。僕は特に見せる技が大好きで、ピストの上では常に相手とのタイミングや距離を見て駆け引きをする、そして相手のスキを見逃さず一気に攻める。これがフェンシングの面白さなんです。 |