【特集】野口啓代選手からの高校生へのメッセージ | 日本の学校
有名人スポーツワンポイント講座
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野口 啓代さん プロフィール

野口 啓代さん
フリークライマー
2020東京オリンピック
スポーツクライミング女子複合銅メダリスト

プロフィール
1989年5月30日生まれ。茨城県出身。小学5年生の時にフリークライミングを始め、わずか1年で全日本ユースを制覇。翌年にはB-Sessionで年間チャンピオンに輝き「天才少女」として注目を集める。2008年に日本人女性として初めてボルダリング・ワールドカップで優勝、翌2009年には初の年間総合優勝にも輝いた。ボルダリング・ワールドカップでの優勝は通算21勝、年間総合優勝は4回。2018年にはコンバインドジャパンカップおよびアジア競技大会でも金メダルを獲得。「日本クライミング界の女王」として業界を牽引してきた。2015年からは東京オリンピックへのクライミングの招致活動に携わり、正式種目としての採用にも尽力した。2019年8月に行われた世界選手権にて東京オリンピックに内定すると、約1年の延期を乗り越え、2021年に見事銅メダルを獲得。東京オリンピックでの激闘を最後に長い競技人生の幕を閉じた。現在は、より多くの人へクライミングの魅力を伝えるべく、普及活動に従事している。

※掲載内容は2022年6月の取材時のものです。

野口 啓代さんの学生時代は・・・

日本一になっても「プロになりたい」という気持ちは全くなかった

野口 啓代さん写真  小学5年生の時、家族旅行先のグアムで父と妹とクライミング体験をしたのをきっかけに、フリークライミングを始めました。両親が酪農を経営していて、小さい頃から牛舎などの高いところに登って遊んでいたので、その延長のような感覚でした。少し経つと大会にも出場するようになり、小学6年生の時に中高生も出場する全日本ユースで優勝、中学2年生の時には国内のシリーズ戦B-Sessionで年間チャンピオンになるなど、すぐに結果がついてきました。ただ、この頃は特に熱心に練習していたわけでもなく、父が作ってくれた自宅の練習場や地元のクライミングクラブへ週に1、2回登りに行く程度。正直「そこまで努力しなくても勝てる」という感覚でした。そのため「悔しい」という気持ちも「いつか世界一になりたい」といった熱い想いも全くありませんでした。
 クライミングへの向き合い方が変わったのは、世界選手権への出場が決まった高校1年生の時です。初めてシニアの世界大会に日本代表として派遣していただくことになったのですが、日の丸を付けて戦うことに対して今までにない責任を感じました。そして「代表として派遣してもらったのにビリにはなれない」「予選落ちしたら恥ずかしい」という想いで、放課後も土日も練習漬けの毎日を送るように。すると段々、大会に向けて練習メニューを練ったり、トレーニングをしたりする時間が楽しいと感じるようになったんです。結果的に、世界選手権では3位に入賞することができ、努力が実を結ぶことの喜びも知りました。そして「もっとトレーニングを頑張れば、世界一になれるかもしれない」と初めて世界を意識し始め、より一層クライミングにのめり込むように。中学時代とは打って変わって、都内のジムまで出向き、ほかの日本代表の選手と練習したり、頻繁に海外の大会へ遠征したり、クライミング一色の高校生活を送りました。しかし、出場した世界大会は最高で2位。高校時代の3年間では「世界一」の夢を叶えることができず、悔しさが残りました。

幾度もの優勝を果たし「日本クライミング界の女王」へ

東京オリンピックが、燃え尽きた自分を奮い立たせた

野口 啓代さん写真  2008年7月、大学に進学した年に出場したワールドカップで優勝し、「世界一」の夢を叶えました。当時、オーストラリア出身のアンナ・シュテール選手が女子クライミング界の絶対王者だったのですが、優勝した瞬間に彼女が駆け寄ってきてくれて、自分のことのように喜んでくれました。それが本当にうれしくて、一緒にクライミングができているのはすごく光栄なことだなと。ここでようやくクライミング選手として生きる決心がつき、大学をやめてプロの道を歩み始めました。
 2008年の初優勝に続き、2009年2010年は年間総合優勝も獲得。まさに順風満帆の毎日でしたが、「世界一」や「連覇」などの夢を達成し終えた2015年、急に次なる目標を見失ってしまいました。左足のケガも重なって思うようにクライミングができなくなり、一気にどん底へ。ちょうどその頃、東京オリンピックへのクライミングの招致活動にも携わっていたのですが、正直、自分がオリンピックに出たいのかもハッキリせず、「誰のためにやっているんだろう」と複雑な気持ちでしたね。
 そんな状況を打破したのは、心の奥底にあった「オリンピックに出たい」という想いでした。徐々に足のケガから回復すると、クライミングが東京オリンピックの正式種目に採用された時に備え、練習の計画を立てたり、トレーニングをしたりしている自分がいたのです。そこでふと「自信がないだけで、本当はすごく出たいんだ」と気付き、再出発することに。また、自国開催のオリンピックはお世話になった方々へ恩返しする場としてこの上ない舞台だと感じ、決勝戦を引退試合にしたいと考えるようになりました。
 招致活動が実を結び、無事、正式種目となったクライミング。東京大会ではリード・ボルダリング・スピードの3種で競う「複合」が採用されたのですが、実はそれまでスピードはほとんどやったことがありませんでした。どうしても苦手意識があり、練習すら「やりたくない」という状態だったのです。そこで、同じくプロフリークライマーの池田雄大選手にコーチを依頼。スピードを得意とする彼に、技術だけではなくスピード種目の魅力や面白さも教えてもらうことで、好きになる努力をしました。そして、無事に東京オリンピックの内定を掴み、本番は銅メダルを獲得。目標としていた金メダルにあと一歩届かず、支えてくれた方に申し訳ないという気持ちでしたが、両親の「色以上の価値があるよ」という言葉で少し安心することができました。
 東京オリンピックでピリオドを打った私の競技人生。失敗や苦労などもたくさんありましたが、思い通りにいかないことこそ自分を成長させてくれたと感じます。2015年の不穏な時期も、スピードに苦悩した日々も、すべてが欠かすことのできない出来事です。

野口 啓代さんからのワンポイントアドバイス

自分の身体や気持ちを自在にコントロールできるようになろう

野口 啓代さん写真  クライミングは、一試合ごとに掴めるホールドが変わったり、ライバルの調子の良し悪しで勝敗が大きく変わったりと、周囲の環境がパフォーマンスや結果に大きな影響を与えるスポーツです。そのため、いかに自分を保った状態で臨めるかが重要になります。今回は、常に自らの意思で自分の身体や気持ちをコントロールするために、私が取り組んでいたことをご紹介します。
(1)コアを鍛える…コアが安定していないと、自分の身体をコントロールすることはできません。ハーフポールの上に立った状態で、静止する、手足を動かす、トレーニングチューブの両端を持って真横に引くなど、様々な動きをしてコアを鍛えましょう。重要なのは不安定な中でも軸がぶれないようにすることなので、回数や時間を決める必要はありません。うまくバランスが取れ、自身の身体をコントロールする感覚が掴めたら終わりにしましょう。
(2)クライミングの難易度を徐々に変化させる…クライミングの練習をする際に大事にしていたのが、簡単な課題から徐々に難易度を上げ、最後にまた簡単な課題に取り組むということ。どんなスポーツにも言えることですが、ハードな練習で筋肉が固まったままトレーニングを終えると、ケガにつながり、自分のパフォーマンスが維持できなくなります。練習の最後は必ず簡単な課題でクールダウンし、腕や脚の筋肉をほぐしてから終えるようにしましょう。
(3)ルーティーンをつくる…会場やライバルなど周りの状況に流されないためには、自分の中で何か変わらないものをつくることも大切です。私が大会前日に行っていたのは、赤いマニキュアを塗ること。マニキュアを塗ると「大会だ」と気合いが入り、集中力が高まっていました。ぜひ自分なりのルーティーンを見つけ、メンタル面もコントロールできるようにしてください。

 トレーニングのやり方は人それぞれ違うもの。ご紹介した内容はたまたま私に合っていただけで、人によってはしっくりこないということもあると思います。また、私自身もリード・ボルダリングをやっていた時期と、3種目をやっていた時期では、トレーニングが全く異なります。その時々の自分の身体や気持ちと相談しながら、取り組んでみてください。

野口 啓代さんからのメッセージ「夢に向かって一生懸命取り組む時間を楽しんでほしい」

野口 啓代さん写真  よく「高校からクライミングを始めるのは遅いですか?」と聞かれるのですが、いくつだから遅い・早いということはないと思います。60代70代から始める方もいるので、何の心配も要りません。それよりも大事なのは、いかに濃い時間を過ごせるかどうか。高校時代の私は「世界一になりたい」という夢に向かって、ただひたすらクライミングに取り組んでいました。もしかしたら長い競技人生の中で、一番楽しい時期だったかもしれません。皆さんも何か一つ大きな夢や目標を持ち、それに向かって一生懸命取り組んでほしいです。
 今後は、クライミングの普及活動をしていきたいと思っています。私がクライミングを始めた20年程前と比べたら、格段に認知度は上がっているものの、まだまだマイナーなスポーツであることは変わりません。海外の大会も一人で行かなくてはいけない、宿や移動手段は自分で確保しなくてはいけないなど、マイナーが故の苦労や葛藤を身をもって知っているからこそ、普及活動を通して業界をもっと大きくし、より選手がサポートされるような環境作りをしていきたいと思います。

※掲載内容は2022年6月の取材時のものです。

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