【特集】五十嵐亮太選手からの高校生へのメッセージ | 日本の学校

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アスリートからの熱いメッセージ

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五十嵐 亮太選手

五十嵐 亮太選手

プロ野球選手(福岡ソフトバンクホークス)

PROFILE

1979年5月28日生まれ。北海道出身。小学校1年生のときに地域の野球クラブに入会し、野球選手としてのキャリアをスタートさせる。当時のポジションはキャッチャー。その頃から肩が強く、高校入学後には肩の強さを見抜いた監督により投手への転向を促され、県内屈指の豪腕投手と呼ばれるにまで成長する。1997年のドラフトで東京ヤクルトスワローズから2位指名を受け入団。2001年の日本一に貢献する。個人でも2000年に最優秀バッテリー賞、2004年に最優秀援護投手を受賞。2009年のオフにはFA権を行使し、ニューヨーク・メッツと契約。活躍の拠点をアメリカ・メジャーリーグへと移す。2013年には日本球界に復帰。現在は福岡ソフトバンクホークスの一員として日本一を目指す。

五十嵐 亮太選手の学生時代は・・・

もともと強かった肩を武器に

五十嵐 亮太選手写真
 野球を始めたのは小学校1年生のときですね。母が町内会の野球チームの監督から「チームに入れてみないか?」と誘いを受けたのがきっかけです。ですので、自ら進んで野球を始めたわけではありませんでした。野球を始めた頃のポジションはキャッチャー。たまにピッチャーもやらせてもらったと思います。バッティングは普通くらいだったのですが、当時から肩は強くて、そこが僕のストロングポイントになっていました。
 中学に進学したときはチーム内に絶対的なエースがいて、僕のポジションは7番ファースト。ピッチャーがやりたくてもできない日々が続きました。チーム内では“打てない・走れない・守れない”という存在でした。肩は相変わらず強かったのですが、守備位置がファーストだったので、その長所がなかなか活かせませんでした。なので野球は好きでしたが、プレーをしていて満足感は得られなかったですね。
 その後は野球推薦で高校に進学。甲子園に出場するような強豪校ではなかったのですが、僕にとってひとつの転機が訪れました。入学するやいなや、監督が僕の肩の強さを見抜いてくれてピッチャーに転向させてくれたんです。“よし、来た!”と思いましたね。早速、1年生の春の大会からリリーフとして起用してもらいました。1年生の夏からは先発としてフル回転。もちろん、うまくいかないこともありましたね。高校2年生の夏の大会は不調のあまり試合に出られなかった記憶があります。怪我をしていたわけではないのですが、投げ方が急にわからなくなってしまったのです。「このままピッチャーを続けるのは難しい」とまで考えることもありましたが、そこで終わってしまうのではなく“なぜ打たれたのか”“どうすれば改善できるのか”と考えるようにしました。成長するためには、負け試合から学ぶしかない。負けから必ず何かを得て、次に活かす。そのスタンスは今でも変わっていません。その甲斐あってか、徐々に僕が出る試合にプロ野球のスカウトが見に来るようになったのです。甲子園に出ているピッチャーに比べて僕の実力は劣っていたと思いますが、ストレートという絶対的な武器を持っていたことで、今後ののびしろがあると期待してくれたんだと思います。

さらなる高みをめざし、日本からメジャーへ

限界は自分が思ったよりも先にある

五十嵐 亮太選手写真
 もちろん、学生時代からプロ野球選手になることは目標でした。とくにヤクルトは好きなチームで、エースの伊藤智仁投手と一緒にプレーできたのはうれしかったですね。といってもプロ1年目はひたすら2軍での生活。やはり学生とプロとでは雲泥の差がありました。技術の差はもちろんですが、仕事ですから勝敗がはっきりしているし、結果によっては引退という現実もあります。ただ、1年目は自分が首を切られるというマイナス思考はなく、“いつまでもここにいたらダメだ”という強気な思いしかありませんでした。とにかく早く1軍に上がりたい気持ちでいっぱいでしたね。それでも2軍で過ごした1年間は学ぶことがとても多かったと思います。小谷正勝ピッチングコーチ(現・千葉ロッテマリーンズ2軍ピッチングコーチ)はすごく熱心に技術指導をしてくださり、プロとして根っこの部分から徹底的に鍛え直してもらいました。今までやってこなかったウェイトトレーニングを始めたり、ランニングもただ走るだけでなく質にもこだわったりしました。そのおかげで体が大きくなり、球速が高校時代に比べ2年間で10kmもアップ。また、良いときのピッチングを体に染み込ませる反復練習もしつこいほどやりました。体を鍛えて、技術に結びつければ、ピッチングのレベルは上がっていく。そう信じ続け、徐々に結果にも現れるようになりました。2年目からは1軍に定着。当時は高津臣吾さんという絶対的な抑え投手がいました。僕の役割は前の投手からバトンをもらい、無事に高津投手につなぐこと。当時は今ほど中継ぎがクローズアップされることはありませんでしたが、個人的にはとてもおもしろいポジションだと思っていました。プロ17年目の今も現役を続けられているのは、このポジションが自分に合っていたからだと思います。
 2010年からはメジャーへ挑戦しました。11年間ずっとヤクルトだったのですが、正直伸び悩んでいた時期でもありました。それでもなんとなく日本では成績を残せていたのですが、“このままではマズい!”と感じ、メジャー挑戦を決意しました。もちろん純粋に日本よりも上のレベルでやりたいという思いもありましたが、あえて厳しい環境に身を置くことで、自分の甘い部分を明確にし、やらざるを得ない状況にしたいと考えたのです。それでもアメリカにいた3年間は辛かったですね。うまくいかない時期が長かったですから。ボールやマウンド、球場、お客さんの雰囲気など日本とはまるで別物。何かを変えなければ生き残れない厳しい環境でした。日本にいたときはある程度自分の限界を感じていたのですが、実はまだ成長できる部分が残っていて、まだまだ甘かったなと痛感しました。
 今後は今までの経験を活かし、現在所属している福岡ソフトバンクホークスで優勝することが目標です。ヤクルト時代に一度だけ日本一になれたことがあるのですが、あの喜びをもう一度味わいたいですね。

五十嵐 亮太選手からのワンポイントアドバイス

投手にとって大切なこと

五十嵐 亮太選手写真
(1)自分自身の強みを見つけること
相手バッターに強いインパクトを与えられるような武器を見つけることが重要。僕の場合はストレートが武器で、それがたまたまスカウトの目に止まりオファーを頂くことができました。確かに全体的なバランスの良さも大切ですが、プラスαで何かが秀でていたほうが自分のプレースタイルを確立しやすくなります。特に多くのことを吸収できる若い時期こそ、自分の特長を活かしていくことが大事だと思います。
(2)状況に合わせて投げ分ける
いくらストレートが武器だといっても、それだけに固執していてはすべてのバッターに対応することはできません。その日のコンディションの善し悪しや、相手バッターとの相性も勝負に大きく関わってきます。従って、そのときの状況に合わせてピッチング内容を変えることが重要になります。例えば、“今日はストレートが走っていないから、カットボールを多めに使おう”とか“まっすぐの調子はいいけど、相手はストレートが得意だから変化球を1球入れよう”など。自分の武器であるストレートを活かすためにも、状況に応じて柔軟に対応することが大切になります。
(3)感情の起伏を小さくすること
投手をやる上で大事なことは、感情の起伏をなるべく抑えることです。毎日ブルペンに入らなければならないからこそ、勝ったときは喜び過ぎず、負けたときは落ち込み過ぎないよう心がけています。また、日常の感情の波も野球に影響すると考えていたので、試合が終われば結果に関係なく切り替えることが大事ですね。負けた試合は誰でも落ち込んでしまうものです。そこで切り替えがうまくない人はそのまま感情を引きずってしまい、次の試合にまで影響してしまう。うまく切り替えることが、投手として成功するためのポイントになります。

五十嵐 亮太選手からみんなへメッセージ

自分らしさを大切にしてほしい

五十嵐 亮太選手写真
 学生の皆さんにはとにかく行動に移してほしいというのが一番の思いです。悩んでいるだけで行動を起こさなければ、成長はありません。たとえ結果的に失敗に終わったとしても、そこから学べることはすごく大きいはずです。失敗したら自分がその環境でどう成功できるかをひたすら考えて進んでください。どんな世界でも社会に出れば、誰でも大きな壁に当たります。もちろん僕もそうでした。そこでどれだけ考えて学んでいけるかが重要。失敗しても自分らしさを信じて進んでいけば、必ず成長につながると思います。頑張ってください!

※プロフィール等は2014年6月時点のものです。

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今という時間を、後悔なく楽しんでほしい
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いろんな経験の中から、自分自身の目的を見つけよう
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三浦 大輔選手(プロ野球選手)
たくさんの経験から、好きな道を見つけよう!
掛布 雅之さん
掛布 雅之さん(元プロ野球選手)
あきらめずに続けた者だけが感じられる
赤星 憲広選手
赤星 憲広選手(プロ野球選手)
練習は継続してこそプラスになる!
上原 浩治選手
上原 浩治選手(プロ野球選手)
楽しめることがステップアップにつながる
矢野 輝弘選手
矢野 輝弘選手(プロ野球選手)
あきらめない限り、一歩でも半歩でも近づいていけてると思います。

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株式会社JSコーポレーション 代表取締役社長 米田英一