田中 史朗選手
ラグビープレイヤー
ラグビーワールドカップ 日本代表(2011年、2015年)
スーパーラグビー サンウルブズ所属
田中 史朗選手
ラグビープレイヤーラグビーワールドカップ 日本代表(2011年、2015年)
スーパーラグビー サンウルブズ所属
伏見工業高等学校 京都産業大学
PROFILE
1985年1月3日生まれ。京都府出身。中学校からラグビーを始め、伏見工業高校1年の時に全国高校ラグビーでチームの優勝を経験。その後も全国高校ラグビーでベスト4、U19日本代表を経てラグビーの強豪校・京都産業大学に進学。大学時代は全国大学選手権ベスト4に貢献した。2007年に三洋電機ワイルドナイツ(現パナソニック ワイルドナイツ)に加入し、1年目からレギュラーとして活躍。同年の新人賞とトップリーグベスト15を受賞し、2007、2008年の日本選手権での三洋電機の連覇にも貢献した。2008年はHSBCアジア5カ国対抗に、2011年はラグビーワールドカップに日本代表として出場した。そして2012年にはハイランダーズに入団し、日本人初のスーパーラグビープレイヤーに。2015年にはハイランダーズの初優勝にも大きく貢献した。2017年よりスーパーラグビー・サンウルブズと契約。2019年に日本で開催されるワールドカップでの活躍が期待されている。田中 史朗選手の学生時代は・・・
悔しさと情けなさが、ラグビーへの思いを大きく変えた
高校時代は将来のことはあまり考えていなくて、ラグビーも学生時代のスポーツで終わると思っていました。大学も祖父母に援助してもらって進学しましたので、卒業後は普通に就職をして親や祖父母に恩返ししなくてはと考えていました。それに当時はトップリーグやチームについてもあまり知らなかったので(笑)。でも大学に入ってすぐに高校代表とU19の日本代表に選んでいただいたことで「ラグビーでもっと上を目指したい」と思うようになりました。
卒業後にワイルドナイツへ、そしてスーパーラグビーへの挑戦
ラグビー観を大きく変えた、最高のラガーマンとの出会い
京都産業大学卒業後の2007年に三洋電機ワイルドナイツ(現パナソニック ワイルドナイツ)に入りました。このチームで、その後のラグビー観が大きく変わる選手と出会いました。現在は日本代表のアタックコーチを務めているトニー・ブラウン氏です。2004年から8年間、ワイルドナイツに在籍し一緒にプレーしたチームメイトで、試合中に大けがをしながらも戦い抜いた凄いエピソードの持ち主です。彼は自分がどんなに辛い状況でも、チームのことを一番に考える。そんなラグビーに向かう姿勢に、同じラガーマンとして学ぶことが多かったし自分自身も奮い立たされました。きっと彼がいなければ現在のサンウルブズでの僕も無かったと思います。彼は人間としても尊敬できる、憧れのラガーマンです。
田中 史朗選手からのワンポイントアドバイス
辛い練習も、目的さえ理解できれば楽しむことができる
(1)ブラジル体操・・・よくサッカー選手のトレーニングで見かける体操です。どのスポーツにも応用できるウォーミングアップで、試合前や練習の前に行うことによって、関節をほぐし柔軟性や筋力をアップさせる効果があり、怪我の予防にもつながります。
(2)ランニング・パス・・・ただ走るのではなく、ラグビーに大事なパスをしながら走る練習です。1日で90mを25往復くらい。走りながら色んな方向の相手に正確にボールをつなぐ。足腰を鍛えながらパスの技術や正確性を磨くことができます。
(3)タックル・・・ラグビーでもかなりきつい練習です。前方や後方から相手に体当たりするわけですから怪我をするリスクも多くなります。まずは正しい姿勢を覚え、身につけることが大事だと思います。
(4)体づくり・・・これはラグビー(スポーツ)に適した筋肉や体力を身につけることです。例えば筋肉を作る食事メニューを取り入れたり、体力や持久力、スピードを鍛えるための練習メニューを実践することでもあります。ちなみに僕は体力とスピードをつけたかったので100mくらいの坂道ダッシュを何本もやっていました。
練習はチームや個人によって変わってくると思いますが、意識してほしいのは何のための練習かということ。目的を理解して取り組むことが大事ではないでしょうか。そうすることによって辛い練習にも目標ができ、積み重ねていくプロセスが楽しくなると思います。練習は楽しくあってほしいです。努力することは何かを得るための手段であり、その努力の先には達成感や喜びが必ずあると信じています。
※プロフィール等は2018年2月時点のものです。
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