森下 雄一郎選手
プロバスケットボール選手
森下 雄一郎選手
プロバスケットボール選手PROFILE
1977年、兵庫県生まれ。小学校5年生よりバスケットボールを始める。中学、高校と日本での実績はまったくなく、高校卒業後、単身渡米。「成功するための1%は自分ができると信じること」と、アメリカでチャレンジをスタート。その後スカウトを受け、ニューハンプシャー工科大学に入学し、オールアメリカンにも選出される。2001年に日本人として初めてアメリカプロバスケット選手となり、NBA直轄のNBDLに日本人として初めてドラフト指名を受ける。NBAのサマーキャンプにも参加経験あり。2005年には、アジア人として初めて世界最高峰のストリートバスケットチーム「AND 1 mixtapetour」と一軍契約。「SAMURAI」のコートネームで活躍中。また、バスケット選手の枠を飛び出し、2006年にはアーティストとしてCDデビュー。バスケと音楽をつなぐ「バス音」という新しいジャンルを作る。また自らの生き様を次世代の日本に伝えるべく、社団法人日本青少年育成協会の顧問を務め、全国各地でのバスケットボールクリニックや講演会、ワークショップなどを行う。また大阪天満市場に開校する「夢現ストリートスポーツアカデミー」では、自らの挑戦で培ったスポーツの本来の意味である「人づくり」をテーマに活動を行っている。森下 雄一郎選手の学生時代は・・・
バスケを諦めかけた大学受験失敗とアメリカ挑戦
森下選手のバスケ道、そして現在の夢は・・・
スポーツはあくまでも人間力を鍛えるための手段
バスケット選手としての最終目標はNBAですが、現役を終えるとき、NBAに立っていようがいまいが、自分ではそこに行くまでやりきったと思えるようにしたいですね。大学、マイナーリーグ、ストリートと、片っ端からやってきました。そのなかで、NBAに行くのに必要なのは、自分の商品価値を上げること。当然、NBAのポイントガードとの実力差はあるんだけど、日本人である自分が入っていけるようにするには、セルフプロデュースしかないんです。そのなかで出会ったのが「AND 1 mixtapetour」という世界最高峰のストリートバスケのチーム。世界で15人しか契約できないこのチームに、アジア人で初めて選ばれて、「SAMURAI」というコートネームで戦っています。そのような活動のなかで、NBAと接点があるかもしれない。そんな気持ちから、このチームでプレーしているんです。
セルフプロデュースは、スポーツに限らず、生きていくうえで大切なことだと思います。それにはまず自分自身と向き合わなければいけない。自分にウソをついたり、信じられないようなら、セルフプロデュースなんてできません。わかりやすくいえば、「自分が自分を見たときに、カッコイイ生き方をしているか、素直に生きているか」。まわりにどう思われても、自分がこうだ!と思ったことを実践していってほしい。失敗を恐れてやらないのではなく、自分で選んで失敗すれば、それが自分のモノになるし、人間力を高めてくれるはず。
森下 雄一郎選手からのワンポイントアドバイス
テクニックよりもボールに敬意を払うことから始める
私の場合は、学校の行き帰りはもちろん、授業中も寝るときもボールと一緒でした。ずっとボールと一緒にいると、友達のような感覚になってくるんです。蹴られたらかわいそうとか、座られたら苦しいだろうとか……。そうやってきたから、アメリカに行っても助けてくれたし、いろんな奇跡を与えてくれたと思っています。まずはテクニックよりもボールに敬意を払うことから始めて欲しいですね。
※この記事は2007年11月に取材したものです。プロフィール等は取材時点のものですので、ご了承ください。
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