名古屋大学 第12代総長 平野 眞一さん| 私の幼少期~両親の教え~ - 日本の学校

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私の幼少期 ~両親の教え~
(お名前の五十音順です)
※プロフィール等は取材時点のものですので
ご了承ください。

名古屋大学 第12代総長 平野眞一さん プロフィール

厳格な父によく言われた言葉は、「実れば実るほど頭を垂れる稲穂かな」

お父さんに教わったこと 正義感、誠実であることを教える

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父は私が生まれて80日で戦争に行きましたので、私は父の顔を知りませんでした。終戦を迎え、父は私が4歳前の時、無事に戦地から戻ってきました。我が家に戻ってきた父は、川遊びをしていた私をはじめて見ても自分の息子だとわからず、近所の子に「この子は誰?」と聞いていました。あんな時代でしたので、私が生きているとは思わなかったそうです。それが、私と父との再会でした。
父は厳格で正義感が強い人でした。戦争中、数々の修羅場をくぐり抜け、想像を超える辛い経験をしたことと思います。しかし、無事に生き残り、帰って来ることができた。それは父の、必ず生きて帰るんだという強い意志がもたらした結果だと思います。そこで培われた正義感、そして強い気持ちを持つことは、私にも叩きこまれました。また、父はよく私に、「人は愚直でいい。また、誠実でなければいけない。」と言いました。当時、意味はよく分からなかったのですが、「実れば実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉を何度も聞かされ、謙虚であることの大切さも私に教えてくれました。父はとにかく、間違っていることは絶対に許さない人であり、謙虚であること、真面目であること、正道であることをとても大切にしていました。

平野眞一さん

お父さんに教わったこと 悪いことは悪いと徹底して教える

平野眞一さん

父が戦争でいない中、母は一人で私を厳しく育ててくれました。父が帰って来てからは、「言葉がわからないうちは身体で覚えさせ、言葉が分かるようになったら体罰はしない」というのが父の方針としてあり、幼い私が悪い事をした時には、よく柱に縛り付けられたものです。殴られたりということはありませんでしたが、悪いことは悪いことなのだと徹底的に教えられました。小学校にあがってからは、言葉でのしつけに変わり、柱に縛り付けられたこともなければ、頭より上に手を挙げられたこともありませんでしたね。


お母さんに教わったこと 両親を大切にする、ご先祖様・仏様を大切にする

昔の人でしたから、母は自分のお母さん、つまり私のおばあさんのことをとても大切にしていました。よく祖母の家へ行きましたし、祖母が病気で臥せってからもできるかぎりのことはしていました。子供心によくやっているなぁと思ったものです。祖母が亡くなってからも、母はお墓参りや仏壇のお世話などこまめにしていました。私はそのような姿を見て育っていますので、今では自分も月に一度は実家に帰り、母と一緒に食事をし、墓参りに行きます。仏壇は家にはないですが、遺影を飾り、毎晩女房と二人でお経を唱えます。むかしから叩きこまれてきたせいか、お経をあげないと落ち着きません。 お経をあげると気持ちが休まります。孫が泊まりに来た時は、孫と一緒にお経を唱えます。こうしてまた次の世代へ受け継がれていくと良いですね。


お母さんに教わったこと 一人っ子を一人っ子としては育てない

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我が家は農家でもありましたので、両親は忙しく、私をそんなに構ってはくれませんでした。一人っ子だからといって、甘やかされた記憶もありません。しかし母はたくさん私を抱き、愛情はたっぷりもらいました。母は私に愛情を与えつつも甘やかさず、バランス良く育ててくれたように思います。
今でもとても覚えているのですが、おやつの羊羹を親子3人で分ける時、母は均等に切り分けるのです。普通、物が少ない時代ですから、育ち盛りの子に多く食べさせて、親は控えめにするものでしょうが、うちではそういうことはありませんでした。私を一人っ子として育てるのではなく、少しでも、兄弟のいる子と同じように育てたかったのかもしれませんね。


ご両親のしつけ 自分のことは自分でやる

中学校は片道30分、毎日自転車で通いました。あの頃は中学校では給食がなく、毎日お弁当を持っていくのですが、私がお弁当箱を洗い忘れると、母はお弁当を入れてくれませんでした。子どもですから、うっかり忘れることがよくありました。ある朝、朝ご飯を済ませて、さぁ学校に行こうと思うとお弁当がないのです。「お弁当は?」と母にたずねると「洗ってないから入れてないよ」と返される。あわててお弁当箱を洗い、詰めてもらったものです。母は、自分のことは自分でやりなさいというしつけを徹底していた人でした。おかげで「自分のことは自分で考えてする」という習慣が身についたと思います。
私は父や母に勉強も教えてもらったことはありません。聞こうと思っても学校で先生に聞きなさいと逆に言われました。また、父も母も私の意思を尊重してくれていましたので、こういう風にならなければいけないとか、勉強をしないといけないとか、そういう「~しなさい」という示唆はありませんでしたね。


親への感謝 家業を継がずに大学に行きたいという夢を応援

父の仕事は、親戚が経営する材木関係の会社と農業の兼業でした。正直、私は農業を継ぎたくなく、大学に行きたいと思っていました。私の父も、その昔は大学に行きたかったそうです。しかし、長男だから農業を継げと言われ、泣く泣く大学進学を諦めたのだと聞きました。自身の辛い経験から、息子である私の大学進学を許し、応援してくれたのです。大変有り難いことです。


地域で教わったこと 挨拶などの基本的な生活習慣を教える

平野眞一さん

小学校4年生以上の村の子どもと、25歳くらいまでの青年で結成される「若い衆」という組がありました。25歳の人に従い、一つ二つ上の子も先輩としていろいろと教わりながら、悪いことをやったら思いっきり地域全体から怒られる。そのような、昔からある良い慣習のもと、一人っ子だった私でも、地域の子どもたちと兄弟のように育てられました。完全に「村の子」として、挨拶から生活の細々したことまで教え込まれたことは、本当に良かったと思っています。



平野眞一さん
子育て中のパパママにメッセージをお願いします。 これからもどんどん子どもと関わり、よい言葉をかけていって下さい。

今の若いお父さんはよくやっていると思います。街で見ていてもご飯の世話からオムツ替えまでほんとによく世話をしますね。感心します。また、子どもともいろんな話をしている。こういうのは本当にいいなと思います。
ただ、学校の生活なんかにはあまり深入りしてはいけないと思います。あんまり深入りしすぎると、子どもが先生を尊敬しなくなります。それで学校でまた問題が起きる。また、社会でよく耳にするむごい事件も多発しています。残念に思います。
日常生活では両親ともに子どもに関わっていくよい傾向にあると思います。この調子でどんどん子どもにいい言葉をかけていってほしいと思います。頑張って下さいと言いたいです。

名古屋大学 第12代総長
平野 眞一

2008年6月掲載

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