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私の幼少期 ~両親の教え~
(お名前の五十音順です)
※プロフィール等は取材時点のものですので
ご了承ください。
ノーベル物理学賞受賞 京都産業大学教授 益川敏英さん プロフィール 父からは、教科書では勉強できない科学の面白さを教わりました。
お父さんに教わったこと 自分の興味があることを教える

私の父は、戦前洋家具の職人をしていたのですが、戦後は砂糖などの製菓材料を売る商売をしていました。商売はしていましたが、商売は苦手で、利益を出すことに頓着せず、生活するのに困らない程度に営んでいました。
そんな父は家具職人の見習い時代に電気技師を目指して勉強をしていました。尋常小学校しか出ていなかったため、数学のサイン・コサインあたりで断念をしたようですが、電気を中心に科学の知識はとても豊富でした。父も自分の知識を話したくて仕方がなかったようで、その披露相手はもっぱら小学生の私でした。「三相交流モーターはどうして動くのか」「日食や月食はなぜ毎月起こらないのか」といったことを聞いてきて、もちろん分からないので、「分からない」と答えると、それは嬉しそうに、私に解説してくれました。普段は口数の少ない父でしたが、おかげで普通の小学生が知らないような科学の知識を得ることが出来ました。

益川 敏英さん
両親に教わったこと 何かにつけて子どもを誉め、趣味を豊富に持たせる
益川 敏英さん

私の父が営んでいたのは製菓材料を売る店でした。砂糖というものはとても重たく、キューバ糖(ザラメ)が入った麻袋なんかは100キロもありましたので、とても重労働でした。両親は2人とも早朝5時半から店を開け、午前中は駄菓子屋さんなどの業者さんへの販売、午後からは一般の方が、普通のお店よりも量は多いけど安いと言って訪れるので、だいたい夜7時くらいまでは働きづめでした。当時、自宅は倉庫のように使用し、お店の2階で寝起きしていましたので、両親の働く姿はいつも目に入り、仕方なくではありましたが仕事を手伝うことが多くなりました。重労働だったので、父も体力の限界を感じていたのでしょうか。高校生になると店を継げということをよく言うようになりました。自分は金もうけがキライで商売はできないと思い、逃げ続けていました。結局、私が大学院に進学を決めるまで、言われ続けました。跡を継いであげることは出来ませんでしたが、物のない時代に一生懸命働いて大学院まで進ませてくれた両親には感謝しています。


お母さんに教わったこと 働いている姿を見せる

私の母はとてもお喋りで明るい性格をしていました。私の性格は母譲りだと思います。また、父と一緒に商売をしていましたので、とても忙しくしていました。基本的には放任…と言えば聞こえがいいですが、ほったらかしでした。子どもの頃の私は学校が終わるとすぐに鞄を置いて暗くなるまで遊んでいましたので、家で宿題をしたことはありませんでした。さすがの母も心配になったみたいで、PTA会で先生に「ウチの子が勉強を全くしないので、少しは宿題を出して下さい」と言いました。すると先生は「宿題は毎日出していますが、いくら出してもお宅の息子さんはやってこないのです」と言ったそうです。これには母も怒り心頭で、2時間も説教が続きましたが、悔い改めて勉強をするような子どもではなかったです。また、三重の田舎で育った母はサラリーマンの奥さんになるのが夢でしたが、実際は職人に嫁ぎ、砂糖問屋になってしまいましたので、息子にはサラリーマンになってもらいたかったようです。母の実家の近くに農業試験場があり、そこで働いていた方の奥さんが、とっても素敵に見えたそうです。それで「サラリーマン=農業試験場=農学部」という図式が出来てしまったのでしょう。母は私に進学するなら農学部にしてくれと言うようになりました。思いこんだら頑固な所もありますが、ある意味教育熱心な面も持っていました。


先生に教わったこと 楽しい時は笑い、いけないことをしたら叱る。 自然体で子どもと接する
益川 敏英さん

小学校3年生の頃だったと思うのですが、先生の肖像画を描くという授業がありました。私は絵も下手で図画は苦手でしたが、先生が腕に時計をはめていらっしゃったので、針の部分まで描いたんです。そしたら観察力があるといって褒められました。この先生は子どもの褒められる部分を探して褒める先生でした。なかなか先生に褒められるという機会の少ない劣等生でしたので、この褒められた経験はとても嬉しく思いました。


仲間に教わったこと 気になったことは追求する

忘れもしないのですが、大学に入って最初の解析学の講義で度肝を抜かれました。高校までの授業とは全く違う講義でした。レベルの違いにシゲキされ、「やってやろう」という気持ちもあって、ちょっと背伸びした質問をしてみました。先生に対してというよりは周りの学生へのアピールですね。そしたら次の授業で数学の問題が6問書いてある紙が回ってきました。「次週月曜日までに以下の問題に答えよ」なんて書いてあって、言うなれば決闘状ですね。そんなきっかけで数学や物理の好きな連中が周りに集まり、グループを作りました。毎日のように議論をしていたのですが、例えば「名古屋市内にピアノの調律師は何人いるか」というお題を出して、それぞれ計算をするのです。自分の周りにあるピアノ台数から名古屋市のピアノ台数を推測し、調律の料金から考えて…といったようにだいたいの人数を出しました。結局答えが分からないので、 答えを教えて下さいとヤマハの会社に行ったこともあります。また、映画を見終わった後に主人公の服の色で議論になり、見終わった後すぐに検証のために同じ映画を見直したこともあります。結果は、映画自体がモノクロでしたので笑い話です。仲間との議論はとても面白く、教えたり教えられたりお互いに切磋琢磨していました。グループのメンバーはほとんどが研究職についていると思います。


益川 敏英さん
子育て中のパパママにメッセージをお願いします。 お子さんの得意なものを一つでも見つけて、作ってあげて下さい。

私の時代だったら、勉強は高校3年間だけ頑張ればいいと言えるんだけど、今は言えないですよね。何故かと言ったら、勉強自体は変わらないんだけど、小学校や中学校で悪い成績だと「おまえはダメ」ということが刷り込みされてしまうんです。「自分はダメなんだ」と思うことで、お子さんの心は少なからずダメージを受けます。ですから、「オレは出来るぞ」というものを少なくとも何か一つ作ってあげてください。そうすれば、自分の中で誇りに思うことが出来るので、例え苦手な勉強でも頑張ることが出来るんだと思います。
勉強だけでなくて、何かに対して凄いとか憧れの気持ちを持つことが大切です。例えばイチローの真似をしてみたりして、自分に野球の適性があるかどうかが分かる。適性があると分かれば突き進めばいいし、ないと分かれば次の夢を探すことが出来ます。
勉強でも運動でも趣味でもなんでもいいので、他の人に負けない誇りに思える何かを見つける手助けをしてあげて欲しいと思います。

ノーベル物理学賞受賞 京都産業大学教授
益川 敏英

2009年10月掲載

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