父は鹿児島県の沖永良部島出身。農家の9人兄弟の末っ子です。中学2年生の時に、先に千葉県に出ていた兄と姉の元に引っ越してきました。その後、県立高校から大学の理工学部へと進学して、半導体技術者として大手電機メーカーに就職しました。
典型的な高度経済成長期のサラリーマンで、幼い私から見ても猛烈に働いていました。とにかく忙しくしていた姿を思い出します。休みの日に家にいるイメージはなかったです。夜は子どもたちが寝てから帰宅していたため、朝食の時しか顔を合せませんでしたが、家庭や子どもに無関心というわけではなく、家にいるときはよく遊んでもらいました。きっと父なりに、時間をつくってくれていたのでしょう。特に覚えているのは、一緒に将棋を指したこと。私が幼稚園の頃から、小学校1・2年生で父に勝てるようになるくらいまで指しました。当時は単なる遊びとして始めた将棋ですが、ものごとの判断をするときに、考え方として今なお役立っています。形勢判断のために何手も先を読んで、組み立てて・・・どの手がいいか決めていくのは、人生や企業経営、あらゆることに活きています。
猛烈に働く父は、海外にも転勤していました。私と1歳年下の弟は赴任地のアメリカ・イリノイ州で生まれています。3歳の時に家族4人で帰国をして日本で過ごしていました。その間に9歳年下の妹が生まれています。幼稚園・小学校と日本で過ごしていましたが、中学2年生のときに父のドイツ転勤が決まり、家族5人でドイツで一緒に暮らすことになりました。それまで日本で過ごしていた日々がとても楽しかったので、気持ちを切り替えることができずにドイツでの生活に馴染もうともしませんでした。1年数ヵ月、毎日のように「帰りたい、帰りたい」と言い続け、とうとう両親は、見るに見かねて15歳の私を一人で日本に帰すことにしました。今思えば、両親にとって勇気の要る決断だったでしょう。最初の1年は従姉と二人暮らしでしたが、その後は高校生にして、完全に一人暮らしでした。
習い事もやりたいと言ったことはやらせてくれました。前述の将棋もそうですし、ピアノも習いました。小学3年生の時には体操クラブにも通わせてもらいました。本当はサッカー部に入りたかったのですが、4年生からしか入れなかったので、1年間だけ体操クラブに通いたいと親にお願いして通わせてもらいました。4年生から始めたサッカーも暑くても寒くてもサポートをしてもらって感謝しています。
大学受験で国立大学は受けないと言った時も、司法試験を受けると言った時も、起業すると言った時も最初は心配のあまり反対するのですが、私の本気度が伝わったり勝算が少しでも見えると、ものすごく応援してくれました。
母は優しいというよりも厳しい人でした。母の時代には珍しく理系の大学を卒業して、父と同じ電機メーカーに入社しました。そこで父と知り合い、結婚してからは、これもまた典型的な高度経済成長期の専業主婦でした。男は働いて養い、女は家庭を守る、そんな時代です。私たち兄弟の教育や躾は、母の手によるものが大きかったと思います。
大卒で中学校の教員免許を持っていた母は、教育熱心でした。算数などの勉強も教わったし、夏休みの課題で自由参加のコンクールがあれば「応募しなさい」と言われていました。それに加え、子どもながらに実感する質素倹約な生活。おこづかいはもらっていない期間がとても長かったです。駄菓子屋など外でお菓子を買ってはいけない。外食もおうちの方が美味しいからと行きませんでした。洋服なども新しいものではなく、親戚のおさがりでした。当時流行っていたファミコンも買ってもらえませんでした。TVも一日2時間まで、夜8時には寝るなど生活のルールを厳しく教わり、規則正しい生活を叩き込まれました。今思えば、三人の子どもを育てるために倹約をして、学資をしっかり貯めてくれていたのかなと思います。当時住んでいたご近所の中でも、かなり堅実な暮らしをしていた方だと思います。好きなものを買いたい、もう少しゆとりのある暮らしをしたいと思っていた私は、「自分で頑張らないとダメだな」「勉強するだけではダメなんだな」と強く思いました。自分で努力をしないと成功には繋がらない。自分でまだ努力をしていない子どものうちに贅沢をしてしまっていたら、自分でもっと頑張ろうという気持ちが芽生えず、今の自分はないんじゃないかなとも思います。
若い時に世界を見れたことも起業につながっていると思っています。さすがに3歳の頃のアメリカのことはほとんど覚えていませんが、中学2年生で父親について行ったドイツのデュッセルドルフでの生活は、とても刺激的で衝撃的でした。自分が常識だと思っていたことが当たり前ではありませんでした。例えばサマータイム。日本にいる時は時間はずっと一定に流れますよね。ドイツでは何月何日からは一時間繰り上がるとか繰り下がるとか…。また、お店の営業時間にも驚きました。土日や夜、バカンス期間は完全に閉まるんです。色々な違いを感じながら、日本の常識は世界の常識ではないんだということを体感して、日本のルールを客観的に相対的に見るようになりました。その頃からでしょうか、自分の気持ちに正直に、普通の人が選択しないようなことでも恐れることなく進めるようになりました。
高校3年生の春、引退するはずだったサッカー部を冬の大会目指して続行しました。普通はそういう選択はしないんですけどね。みんなが受験に備えているというのに、ボールを追いかけ、気づけば受験3ヵ月前になっていました。志望校は、慶応義塾大学。1ヵ月ずつ目標を立て、絶対にやる!と決めて我が道を進みました。途中の模試の結果は、志望校の再検討を促す最低ランクのものでしたが、日々感じる手応えを信じて突っ走りました。結果は無事に現役合格。大学受験は、私の人生の中でも自分で選び、自分で成し遂げた大きな成功体験の一つです。
海外生活で様々なものや価値観に触れたことと、自分で道を選び成功した体験は、自分の判断と実行力への自信に繋がり、のちに起業という道を選んだ時のベースとなったと思います。
サラリーマンの父と専業主婦の母のもと、質素倹約を徹底されて暮らしていた幼い頃は、とても堅実な暮らしをしていたものの、日本人はだいたい同じような暮らしをしていると思っていました。サッカー部の仲間の中でも、多少トレーニングウェアがカッコよかったりシューズが新しかったりしたくらいです。高校までは公立で過ごしていましたので、あまり周りとの差はなかったと思います。
ところが、大学に入学すると驚くような差を目の当たりにして、上には上がいることに少なからずショックを受けました。フェラーリで部活に来る友達もいましたし、お父さんに買ってもらった億ションから通学する友達もいました。彼らの実家は、例外なく親が事業をしていて、自分が思う豊かな暮らしへと突き抜けるには自分で事業をすることなんだと思いました。これも起業という道を選んだ原体験の一つです。
弁護士ドットコム
弁護士ドットコムは、登録弁護士数14,000人以上(弁護士の3人に1人超)、月間サイト訪問者数1,350万人の日本最大級の法律相談ポータルサイトです。困ったことが起きた時、どのように対応したらいいのか悩むあなたが納得のいく解決方法を簡単に見つけられるように、インターネット上での無料法律相談サービスや弁護士検索サービス、ニュース配信など、多くのコンテンツを備えています。弁護士が身近になり気軽に相談できることで、世の中の人がより安心して暮らせる社会にしていきたいと思っています。
みんなの法律相談
困ったことが起きたとき、相談内容を投稿することで弁護士が無料で回答をしてくれる「みんなの法律相談」というコンテンツを提供しています。様々なジャンルの相談が多数投稿されています。会員登録することで、全ての法律相談・回答の内容を閲覧することができます。
弁護士検索
14,000人以上の弁護士が会員として登録しています。地域、得意分野、性別、年齢など、様々な条件で弁護士を探せます。弁護士のプロフィールには、自己紹介や取り扱った事件、料金表など、豊富な情報が掲載されているので、あなたにあった弁護士探しにお役立てください。探し方から選び方のポイントまでまとめた記事も充実しています。
また、会員登録は必要ですが、弁護士ドットコムなら簡単に複数の弁護士からの見積を一括でお願いできるサービスもあり、比較検討にも便利です。
弁護士ドットコムニュース
世間をにぎわす話題の出来事を、弁護士が法律的観点から分かりやすく解説をしています。例えば、「灼熱地獄の車内に子どもを放置。救出のために、店がハンマーで窓ガラスを割ってもOKか」という話題に対して、車内に放置することがどのような罪に問われるのか、窓ガラスを割って救出をすることは、処罰されることなのかどうか、また、通りがかりの方はどのように対応したらいいのかなど弁護士が詳しく解説をしています。
その他の関連サービス
弁護士ドットコムのほか、無料で税理士相談・検索ができる日本最大級の税務相談ポータルサイト「税理士ドットコム」やインターネット上で契約締結や契約書の保管・管理ができる「クラウドサイン」、企業法務のスペシャリストが最新の法改正や実務についてわかりやすく解説する「BUSINESS LAWYERS」、弁護士・法務に特化したキャリアコンサルティング・転職支援サービスを提供する「弁護士ドットコムキャリア」など多くの関連サービスを運営しています。