村上 佳菜子さん
プロフィギュアスケーター
村上 佳菜子さん
プロフィギュアスケーターPROFILE
1994年11月7日生まれ。愛知県名古屋市出身。3歳からスケートを始め、5歳からスケートのジュニアクラブに入り山田満知子コーチの指導を受ける。中学時代から国内外の大会に出場し、2008年にISUジュニアグランプリシリーズ(JGP)初出場のジョン・カリー記念で優勝、ファイナル出場を果たす。2009年にはJGPトルン杯、クロアチア杯、全日本ジュニア選手権、ジュニアグランプリファイナルなどで次々と優勝を決め、一躍注目を集めた。そして同年、初めて参加したシニアの国際大会アイスチャレンジでも優勝を果たした。翌年2010年には世界ジュニア選手権において初出場で優勝。このシーズンよりシニアのグランプリシリーズにも参戦しアメリカ大会で優勝、同年の世界選手権にも初出場した。2014年には四大陸選手権で初優勝、そして初となるソチオリンピック出場も果たした。2017年4月、現役引退を表明し、現在はプロフィギュアスケーターとして活躍している。村上 佳菜子さんの学生時代は・・・
結果が出るようになると、本当にスケートが楽しくなった
特に中学時代で印象に残っているのは、ジュニア1年目に出場したジュニアグランプリファイナルで、ショートで2位だったのに総合で4位になってしまい、すごく悔しい思いをしたことです。「絶対に来シーズンは同じ舞台で優勝する!」と強く思えたことで次のシーズンには全部の大会で優勝でき、これこそがアスリートの面白さなんだと感じました。ちなみに、中学生になると生活の中心はスケートだったので、友達と遊ぶ時間はほとんどなくて、たまに遊びに行くとコーチに連れ戻されていました(笑)。
シニア参戦、ソチオリンピック出場、そして決断したことは・・・
オリンピック出場をかけた全日本、そして引退を決めた全日本
そしてもう一人の存在が浅田真央さんです。姉でもあり大親友でもある人です。小さい時から同じリンクで練習をしてきて、浅田さんの努力する姿から本当にたくさんのことを学びました。尊敬できる先輩です。高校に進学したときも、先輩だった浅田さんのブレザーをいただいて着ていました(笑)。
この頃からシニアの大会にも参戦するようになり、オリンピックを身近に意識するようにもなりました。特にオリンピックの前はひとつでも失敗すると出場は危ないと思っていましたから、何かに取り憑かれていたみたいに滑っていました。中でもオリンピック選考会を兼ねた全日本選手権は、今振り返ってもすごかったと思います。そして出場したソチオリンピックで入賞はできませんでしたが、あの独特の空気感や雰囲気、そしてオリンピックという大きな舞台を経験できたことは、今後の私に生かされると思います。
ソチの後、山田先生からも引退という道を考える時かもと言われましたが、私の中で「まだできる」と思う部分があったので続けてきました。でも練習をいくら積んでも結果につながらない辛さ、歯がゆさを感じるようになったんです。そして昨年12月の全日本選手権の前頃から「これで最後かも」と自分自身が思うようになり、競技生活を終わりにしようと決めました。全日本のフリーでトスカを滑り終えたとき、プツンと糸が切れたようで自分でも驚きました。
村上 佳菜子さんからのワンポイントアドバイス
厳しい練習と努力の先には、きっと結果が待っている
(1)スケーティング・・・もちろん一番時間をかけた練習です。中学生の頃から毎日6~8時間はリンクで滑っていました。特に重点的に練習したのはジャンプです。中でもフリップやルッツ、ループといったジャンプは難しくて、跳べるようになるまでに時間がかかりました。やはりリンクで滑りながら、ジャンプや回転など様々な動きの感覚を身につけることは一番大事な練習だと思います。
(2)ダンス・・・スケーティングと同じくらい大事な練習です。芸術性に大事な表現力は、体のあらゆる動きから表現されます。そのためにバレエをはじめ、ジャズやタップ、ヒップホップなどの多様なダンスを子供の頃から練習してきました。学生時代は毎日1~2時間はダンスの練習に費やしていました。またアメリカでは、表情のレッスンを受けたこともありました。
(3)筋トレ・・・リンク以外の練習で欠かせなかったのはダンスと筋トレです。また、足腰を鍛える縄跳びや回転・ジャンプの練習も自宅の外で毎日していました。
学生時代は毎日、練習しかしていなかった気がします(笑)。外国の選手は日本選手の練習時間の長さに驚く人もいますが、今の日本フィギュア界のレベルの高さは、こうした日本人選手の努力の結果ではないでしょうか。練習の厳しさから逃げない、努力を惜しまない。これが私からのアドバイスです。
※プロフィール等は2017年7月時点のものです。
2/2ページ