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有名人スポーツワンポイント講座
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中瀬卓也選手写真
中瀬 卓也選手
体操 北京オリンピック銀メダリスト
1982年11月19日生まれ。滋賀県出身。身長165cm、体重63kg。9歳で体操を始め、日吉中学時代には全国中学生大会に出場し跳馬で優勝。滋賀県立栗東高校ではインターハイ個人総合で二連覇を果たす。2000年全日本ジュニア体操競技選手権大会で個人総合・種目別ゆか・つり輪優勝。その後日本体育大学に進学するが、あと一歩で日本代表になれない時期が続く。卒業後、徳洲会体操クラブに入り、2006年ようやく世界選手権オーフス大会代表の座を勝ち取り、団体3位に貢献、個人総合でも6位入賞と活躍。2007年世界選手権シュツットガルト大会でも団体銀メダル、北京オリンピック出場権獲得に貢献。日本チームに欠かせない存在に成長する。得意種目は「ゆか」。2008年、北京オリンピック日本代表に選出。8月12日に行われた同団体総合決勝では見事な演技でチームに貢献し、銀メダルに輝いた。

※この記事は2009年1月に取材したものです。プロフィール等は取材時点のものですので、ご了承ください。

中瀬卓也選手の学生時代は・・・
夏休みは1日中練習。でもやめようと思ったことは1度もない。
中瀬卓也選手写真  体操を始めたのは小学校4年生のとき。それまではサッカーをやっていたんですが、友達で体操を習っている子が、休み時間に砂場でバク転とかをみんなの前でしていて、すごくかっこよかったんです。それで僕も目立ちたかったからやってみたら、すぐできたんです。それを見て、友達が「一緒に習おう」と誘ってくれて、それをきっかけに体操を始めました。

 やってみると、最初は鉄棒で手の皮がめくれてしまうなど、見ただけではわからない激しさや痛みもあって、慣れるまでは大変でした。最初の頃、鉄棒の「けあがり」ができなくて苦戦したのも忘れられません。でも、慣れてからはどんどん新しい技を覚えたいって夢中になっていきましたね。

 中学時代は学校に女子の体操部しかなかったので、試合だけ出場させてもらいました。高校はスポーツクラブの近くにある県立栗東高校に進学し、高校卒業まで、学校が終わったらクラブに行って練習を積む、という形で続けました。

 平日は学校が終わる4時半ぐらいから9時過ぎまででしたが、夏休みなどになると、1日中。10時ぐらいに始まって、まず12時半まで1回目の練習。その後、午後の2時から9時までが2回目の練習でした。でも、体操は好きだったので、やめたいと思ったことは1度もないです。

 高校時代は、2年生と3年生の時に、インターハイで個人総合で2連覇することができ、それが自分の体操人生に大きな目標を与えてくれました。過去インターハイで2連覇した人が6人いて、5人がオリンピックに行っていました。だから「きっと自分も行けるはず!」と思い頑張ることができました。
● 中瀬卓也選手のオリンピックとは・・・
いざ舞台に立つと、「これのためにやってきたんだ」と思った。
中瀬卓也選手写真  インターハイ2連覇はもちろん、高校3年生の時、シドニーオリンピックを観て日本チームの活躍に刺激されたことも、オリンピックを意識するきっかけになりました。「やはり注目度が違う。自分もここに出たい!」と思うようになったんです。

 大学は日本体育大学に進学して、2年生のときにはコーチのすすめで、国立スポーツ科学センターの近くに住んで、毎日体操ばっかりしていました。正直に言うと、大学では、周りの学生を見て、自分ももっと自由に遊びたいなと思ったこともあります。でも、「今遊んだら、今までやってきたことが全部無駄になる。遊ぶのは結果を残してから」と考えるようになりました。

 ただ、僕はなかなか日本代表にはなれなかったんです。本当に大事なときに失敗することが多くて、ギリギリでいけなかった。アテネオリンピックの時も、あと1ポイントあれば、というくらいまではいっていたんですが…。きっとメンタルが弱かったんですね。もちろん悔しかった。

 そこで考えたのは、シンプルに「ここ一番で不安になるのは、練習が足りないからだ」ということ。決めなきゃならないときに、「これでいいのか」とか「絶対失敗する」とか、いろいろ考えると失敗する。だから練習の段階で、試合のつもりで自分を追い込んで、それを何回も練習して、もうこれ以上練習ですることはないっていうくらいに仕上げていけばいい、と考えるようにしたんです。

 そうすると、試合でも自ずとちゃんとできるようになりました。もちろん、根底にあるのは絶対に行きたいという気持ちです。よほどの天才でない限り、気持ちがないと絶対に無理だと思います。

 北京オリンピックでは、自分の演技に集中して落ち着いて臨むことができました。アテネオリンピックを観ていて、緊張するというイメージが強かったんですが、いざ会場に入ってみたら、「ああ、俺はこれのためにやってきたんだ」と思えたし、「一生に1回かもしれない舞台で、緊張して失敗するなんてあほらしい。とりあえず思い切ってやろう」とうまく開き直って臨めました。

 表彰台に上ったときは、「報われた。今までやってきたことが形になってよかった、頑張ってきてよかった」と込み上げてくるものがありました。
中瀬卓也選手からワンポイントアドバイス
一番大切なのは、美しい姿勢を意識した基本の反復練習
中瀬卓也選手写真  僕の場合、高校生の時はひたすら練習をしていたのですが、技にばかりこだわるのではなくて、体操における基本的な動きを繰り返し練習し、それが終わってから技に挑んでいました。

 今思うと、あの時、基本練習を徹底していたからこそ、ここまで伸びたんだと思います。ですから、まずは基本を反復して磨くということを大事にしてください。

 具体的にいくつか挙げれば、
(1) ロンダート、バク転、タンブリング……ゆか運動の基本
(2) 車輪、逆車輪……鉄棒の基本
(3) 旋回……あん馬の基本

 基本練習をするときには、つま先まで伸びた、きれいなフォームを意識することが一番大事です。それと、上手な選手の演技をビデオで見たりして、その選手の基本的な動きを真似るのが一番いいと思います。あとは、自分の感覚だけでなく、コーチなどに客観的にしっかり見てもらうことも大事です。

 ほかには、
(4) 柔軟、ストレッチ……柔軟性は当然大切です。できれば小中学生くらいの時にみっちりやるようにしたいもの。もちろん継続することが大切です。
(5) 筋トレ……負荷(ウエイトなど)を使って筋肉を大きくするトレーニングと、つり輪の力技など実践的な動きを何回もやるなど、両方を。高校生になると少しずつ大人の体になるので、大きくなったときのために少しずつ筋肉をつけていくことも大事です。

 そして、一流の演技を見てイメージを高めることも大切です。僕の場合は、高校時代、たまに合宿などで日本体育大学に行ったときに、トップクラスでやっている選手を見て、すごく刺激になったのを覚えています。
中瀬卓也選手からみんなへのメッセージ 
中瀬卓也選手写真

僕が初めて日本代表になれたのは社会人2年目の23歳のときで、決して早くはなかったんです。でも、それまでの悔しさを忘れずに、「絶対にオリンピックに行く」という気持ちを持ち続けたからこそ代表になれたんだなあ、と今は思っています。

高校生の時は、若いし、いろいろな夢があって当然だと思います。その中で自分が本当に叶えたいという夢をひとつ見つけて、それを最後まで諦めずに目指し続けることがやはり一番大事だと思います。

そして、「その夢を叶えるために、今できることって何だろう」と、自分で考えるのが大切なことです。なかなか難しいですけどね。

僕の今後の夢は、もう一度あのオリンピックという舞台に立つということ。今回は銀色のメダルでしたが、どうせなら金色を取って終わりたいという気持ちがあります。そのために改めてまた挑戦です。皆さんも、ぜひ自分の夢に向かって頑張ってください。

※この記事は2009年1月に取材したものです。プロフィール等は取材時点のものですので、ご了承ください。

山室 光史選手
山室 光史選手(体操選手 ロンドンオリンピック団体総合銀メダリスト)
努力が光るときは、きっと来る
沖口 誠選手
沖口 誠選手(体操選手)
スポーツを通して、仲間との絆が強くなった
冨田 洋之さん
冨田 洋之さん(元体操競技選手)
継続することの大切さを知って欲しい
鹿島 丈博さん

2010年6月

鹿島 丈博さん(元体操選手)
失敗を恐れるな!それが成長への過程だと思え!
米田 功さん
米田 功さん(体操 アテネオリンピック金メダリスト)
打ち込むことの中に楽しさを見つけてください
池谷 直樹さん
池谷 直樹さん(元体操選手 スポーツタレント)
一度しかない人生を、思いっきり楽しんでほしい
塚原 直也選手
塚原 直也選手(体操選手 アテネオリンピック 金メダリスト)
楽しんで好きになることが一番大事
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