幼い頃はトランポリンの他に水泳や体操も習っていましたが、小学校3~4年生の頃からトランポリン一本に絞りました。トランポリンの宙に浮く感覚が魅力的で、また当時はどんどん技を覚え、上達しているのを実感できていましたので、楽しくて仕方なかったですね。当時発足されたオリンピック指定強化選手に選ばれたのもちょうどこの時期でした。最年少で選ばれたことはとても名誉でしたが、同時にプレッシャーも感じていました。「同世代の選手には負けられない」と。 そんな思いをずっと抱えながら練習の日々を過ごしていたころ、2000年のシドニーオリンピックから、トランポリンが正式種目に。当時テレビ中継を見ながら「自分もここに出たい」と、オリンピックに対する憧れが日に日に高まっていったことを覚えています。そして、「トランポリンでオリンピックに出場する」ということが、当時の最大の目標になりました。 中学時代は全日本ジュニアで優勝。実績を残していたので、進学先もいくつか選択肢がありました。その中のひとつにトランポリンの名門校、金沢学院東高等学校という魅力的な進学先がありましたが、地元を離れて一人暮らしをすることに当時はかなり悩みました。両親や仲間達と離れ、ただトランポリンでオリンピック出場を目指すためだけに行くのですからね。ただ、この高校で通用しない様では、オリンピックにはほど遠い。だから思い切って飛び込むことにしました。 高校時代は、やはり恩師の福井先生に出会えたことが大きかったと思います。国際レベルの大会では「技の美しさ」が重要視されますが、福井先生はその審美眼がとても優れている有名な指導者で、先生に認めてもらえた演技=世界でも通用するということになります。オリンピック出場を目指す私にとっては、この上ない出会いでした。その福井先生とも相談した結果、高校三年間は結果よりも技の美しさを磨くことを選びました。先生には「目先の結果よりも将来的な事を考えろ」と、口酸っぱく言われ続けてきました。高校3年間は世界で戦うためにひたすら腕を磨き続ける期間でしたね。結果的にこの選択は正しかったと思っています。
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