淡路 卓選手
フェンシング選手 NEXUS所属
ロンドンオリンピック フェンシング男子フルーレ団体銀メダリスト
淡路 卓選手
フェンシング選手 NEXUS所属ロンドンオリンピック フェンシング男子フルーレ団体銀メダリスト
PROFILE
1989年7月26日生まれ。宮城県仙台市出身。小学校から仙台フェンシングクラブでフェンシングを始め、東北工業大学高等学校を卒業するまで父の厳しい指導を受けた。中学2年生のときに全国大会で優勝、高校時代もインターハイで好成績を残し2008年には世界ジュニア選手権で日本選手として初優勝を果たした。2009年にはワールドカップフルーレ個人で3位、全日本選手権フルーレ個人で2位、2010年の世界選手権ではフルーレ団体で銅メダルを獲得している。そして2012年のロンドンオリンピックでも日本代表に選出され、男子フェンシングフルーレ団体で見事、銀メダルに輝いた。淡路 卓選手の学生時代は・・・
中学時代は、高校や大学まで行って練習する毎日
中学生になってから父の猛特訓はさらに厳しくなりましたが、それでも全国大会ではなかなか勝てなくて、週に4日だった練習が毎日になり、練習相手も中学生だけではなく高校や大学まで行って練習させてもらうようになりました。毎日学校に父が迎えにきて練習に行き、それでも足りない時は、家の近くの道で父と二人で剣を持って夜遅くまで練習した時期もあります。その成果もあって中学2年生の時に初めて全国大会で優勝できたんです。確かな結果が出たことは自分のモチベーションにもなり、もっと頑張ろうという気持ちが強くなっていきました。
高校は父がコーチを務めていた東北工業大学高等学校に進みましたが、当時部員が3人しかいなくて練習よりも部の存続を考えなければいけない状況でした。思うように練習に打ち込めないことで、出遅れたような気持ちになったこともありました。フェンシングへの思いと現実とのアンバランスな状況にジレンマのようなものを感じていたし、高校時代は優勝できなくて周りとの差がどんどん離れていく焦りも感じていました。
世界ジュニア選手権優勝、そして夢のオリンピックへ
諦めない父とオリンピックへの思い、だから頑張れた
日本大学入学後の2008年に世界ジュニア選手権で初優勝できたことは、世界の舞台へ一歩近づく大きな自信になりました。全日本選手権をはじめワールドカップ、世界選手権など日本代表としても様々な経験をさせてもらって、オリンピックという夢に確実に近づいているのを実感していました。僕にとってオリンピックはフェンシングを始めたきっかけであり、人生の中で初めて自分で見つけた夢です。もちろんスポーツ選手にとっては誰もが目指す夢の舞台だと思います。だからこそ2012年、ロンドンオリンピックの決勝戦、憧れのセンターピストで戦えたことは最高の忘れられない瞬間でした。そのオリンピック団体で銀メダルを取れたことは僕にとっても最高にうれしいことだったし、父も僕以上に喜んでくれていたと思います。父がいなければとれなかったメダルです。今は父の厳しい指導と諦めない心に、感謝の気持ちでいっぱいです。
淡路 卓選手からのワンポイントアドバイス
基本は速いフットワークと正確な突き
(1)フットワークを鍛える・・・敏速な足の動きはどのスポーツでも基本ですが、特にフェンシングのように決められたスペースでスピーディーに自由自在に切り返せることは、相手を倒すにも攻撃をかわすにも大事なことです。僕はランニングマシーンの上でよくフェンシングの動きを練習していました。
(2)ランニング&ダッシュ・・・下半身や足を鍛えることももちろんですが、一瞬で重心を移動したり瞬時に止まる、瞬発力を身につけるにはやはり走ることが有効的です。この反復練習が下半身強化につながります。
(3)ひたすら突く・・・やはりフェンシングではフルーレ剣の突きが勝利につながります。学生時代は家でも枕などを使って一人で突く練習をしていました。このときに気をつけてほしいのが、基本に忠実にということ。フォームや構えの姿勢など、まずはしっかりと基本を身につけるようにしてください。
最後にあらゆる基本を身につけたら、次は自分自身の一芸(得意技)を見つけて鍛えることも大事だと思います。僕がフェンシングを始めた頃は、相手に動きを読まれないような、ひたすら動きの速いプレーヤーになりたかった。でも今はそれだけでは勝てない、スピード+αで進化していくことがこれからの僕の課題です。
※プロフィール等は2013年1月時点のものです。
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