【特集】山中亮平選手からの高校生へのメッセージ | 日本の学校

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アスリートからの熱いメッセージ

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山中 亮平選手 プロフィール

山中 亮平選手

ラグビー選手  コベルコ神戸スティーラーズ所属
ラグビー日本代表

PROFILE

1988年6月22日生まれ。大阪府大阪市出身。中学に入学当初はサッカー部に所属していたが、14歳からラグビーに転向した。高校はラグビーの強豪・東海大付属仰星高等学校(現・東海大学付属大阪仰星高等学校)に進学、高校3年時に全国高校大会優勝を果たした。その後、やはりラグビーの名門、早稲田大学スポーツ科学部に進学。ラグビー部入部当初からレギュラーに定着し、1・2年時には全国大学ラグビーフットボール選手権大会で連覇も経験、4年時には副将も務めた。また大学生ながら日本代表にも選出、2010年アジア5ヵ国対抗アラビアンガルフ戦で日本代表初キャップを獲得した。大学時代から注目を集め、卒業後は神戸製鋼コベルコスティーラーズ(現・コベルコ神戸スティーラーズ)に入団。2015年のW杯では日本代表に選ばれるも、バックアップメンバーとして出場にはならなかった。そして2019年、ついに日本開催のW杯で5試合に出場、日本のベスト8進出に貢献した。この日本代表の活躍は、日本中に絶大なラグビー人気を巻き起こした。

山中 亮平選手の学生時代は・・・

監督の言葉を信じて、強い仰星で頑張ろうと決めた

山中 亮平選手写真
 中学生になったら楽しい部活に入ろうと考えていましたが、最初に入っていたサッカー部は走ってばかりで楽しいと感じられなかったんです。その頃、隣でやっていたラグビー部の練習はいつもワイワイと笑いながら「楽しそうだなぁ」と思っていました。そのうちにラグビー部の顧問の先生から誘っていただいて、中学2年生からラグビーを始めました。実際にラグビーも初体験で、何もかもが新鮮で楽しかった。でも3年生になるとチームも強くなっていき、勝たなくてはという気持ちも出てきたので、少しずつ大変さも感じていました。そんな思いもあったのかもしれませんが、強豪校でない高校に進み、楽しくラグビーができたらくらいに考えていました。そんな時に声をかけてくださったのが、東海大付属仰星高等学校(現・東海大学付属大阪仰星高等学校)ラグビー部の土井監督でした。直接学校まで訪ねてくださって誘っていただいた熱意にも心を動かされ、何より「君は日本代表になれる」という言葉に、監督を信じて強い仰星で頑張ろう、上を目指そうと進学を決めました。この時の土井監督との出会いが、その後のラグビー人生の本当の出発点だったと思います。
 仰星に入ってまず驚いたことは、ラグビーの質の高さでした。中学時代とは全く違って、ラグビーの難しさに初めて気づかされました。例えば理論立てた戦術だったり、ゲームの組み立てだったり。自分のポジションもそうですが、ゲームを作りコントロールして勝たせるという難しさも初めて感じました。覚えることもたくさんあって、1・2年の頃はラグビーの奥深さを学ぶ毎日でした。やがて理解できると更に面白くなり、トライできる方法や勝つための戦術を見つけられるようになると、本当の楽しさが感じられるようになりました。
 そんな僕の高校時代の夢は、やはり花園で優勝すること。高校に入学したときから、同級生のみんなで「絶対に優勝するぞ!」と目標に頑張り、少しずつ公式戦でも勝ち続け、遂に高校3年生の時、花園ラグビー場でおこなわれた全国高校大会で優勝を勝ち取りました。高校時代の夢の集大成でもあり、忘れられない思い出です。

名門・早稲田大学から強豪・神戸製鋼へ、そして夢のW杯へ

2015年の悔しさが、次のW杯への思いを奮い立たせた

山中 亮平選手写真
 高校3年の時には、早稲田大学へ行くと決めていました。ラグビーが強く伝統もある。そして有名選手も多く一緒にプレーがしたいと強く思っていました。なので大学の監督から声をかけていただいたときは嬉しかったし、早稲田の延長線上には社会人ラグビーへの道も思い描いていたからです。
 目標通り早稲田では、レギュラーに定着してプレーができていたし、全国大学ラグビーフットボール選手権大会での優勝も経験しました。そして大学時代に日本代表として練習やプレーができたことは、大きな経験と自信になり、卒業後もラグビーを続けていけるという道が確かに見えてきました。
 そして2011年、卒業後は憧れの神戸製鋼コベルコスティーラーズ(現・コベルコ神戸スティーラーズ)に入団しました。僕たちにとって神戸製鋼は、ラグビーそのものといえる存在です。強さはもちろん伝統があり、関西という地元への思いも僕には強かった。そんなチームでプレーができることは、ラガーマンにとって誇りでもありました。ただ入団当初は試合に出ることができない辛い時期も経験しましたが、常に目標はチームに貢献すること、そして何よりW杯のグラウンドに立つことでした。W杯は僕にとって大きな目標で、日本代表には選んではもらえるけど出場は遠かったからです。特に2015年のW杯はバックアップメンバーで、ホテルで日本対南アフリカの試合を観戦していました。そして日本が勝った瞬間、その場所にいられなかった悔しさと、日本が南アフリカを破った嬉しさを同時にかみしめていました。この悔しさが、2019年のW杯への思いを奮い立たせたことは確かです。
 そして2019年、3度目のW杯への挑戦は結果を出すことができました。自国開催でもあったW杯は、これまで経験したことのない緊張とプレッシャーを経験した特別なものでした。アイルランド戦やスコットランド戦など、出場した全試合の一瞬一瞬が鮮明に印象に残っていますが、何よりベスト8というチームの目標を達成できた時が一番嬉しかった。必ず4年後につなげるんだと気持ちを新たにした瞬間でした。

山中 亮平選手からのワンポイントアドバイス

選手としての強みになる、得意なプレーを磨こう

山中 亮平選手写真
 ラグビーは、皆さんもご存じのように走る、パスする、キックする、そしてコンタクトが多いスポーツです。なので、体を鍛えて基本的な体力を身につけることも必要です。僕が高校時代にやっていた練習とは・・・
(1)ウォーミングアップ・・・基本は走ったり体操をしたりして体を温めて、運動する体の準備をします。怪我の予防にも必要です。
(2)パス・キック練習・・・4列パスなど、パスを繋いでいくことで基本のスキルを身につけ、キャッチ&パスや走りながらのランパスなど、さまざまなパターンでパスのスキルアップをはかります。またパスをもらってからのキックも、正確に距離を伸ばせるように練習をします。
(3)ポジションに分かれた練習・・・ラグビーには大きく分けてボールを奪取するフォワードと、得点を奪いに行くバックスがあります。基本はポジション同士で練習します。例えばバックスは、ボールを持って走ったり点を取る役割なので、向かってくる相手を交わしたり抜いたりする練習もします。また、相手とコンタクトをすることもあるので、タックルバックやコンタクトバックといった用具を使い分けてコンタクトの感覚を身につけます。
(4)ウエイトトレーニング・・・ラグビーでは強い下半身が必要とされます。器具やマシーンを使うトレーニングも有効ですが、まずはスクワットなど、基本トレーニングから始めるのがお薦めです。

特に初心者の人は、できるボールに触れてキックやパスをたくさん練習してください。また色んな試合の映像を見て、強いチームや選手のプレーを参考にするのも良いと思います。そうして自分の得意なプレーを身につけて磨いてください。

山中 亮平選手からみんなへメッセージ

チャレンジの先に、見つかる夢が必ずある

山中 亮平選手写真
 今では、たくさんの人がラグビーに興味を持ってくださり、試合を観戦してくれるようになりました。特に2019年のW杯後の盛り上がりには正直、びっくりしました。でも選手にとっては嬉しい限りです。ラグビーは見ていても、プレーしていても楽しいスポーツです。特にフルバックはボールを持って自由に走ることができるし、相手との駆け引きも面白く、常にワクワクさせられます。そんな楽しい人生を過ごせるきっかけの一つに、高校時代の監督との出会いがありました。あの中学3年生の時、監督が熱意を込めて導いてくれなければ今の僕はなかったと思います。
 皆さんの中にはやりたいことや夢がまだ見つかっていない人もいると思います。見つけるために考えたり迷ったり、いっぱいチャレンジすればいい。その先に見つかるものが必ずあると思うからです。
 僕の挑戦はチームの成績を出しシーズンを終えること。そしてその先には日本代表があり、次のW杯への挑戦もあります。高校生の皆さんも3年間という時間を思いっきり楽しんで、何かに挑戦し続けてください。

※掲載内容は2022年3月の取材時のものです。

田中 史朗選手

2018年2月

伏見工業高等学校 出身 京都産業大学 出身
田中 史朗選手(ラグビー選手)
楽をするより、しんどいこと頑張った後にこそ喜びがある
元木 由記雄選手
元木 由記雄選手(ラグビー選手)
一生懸命にやれば、きっと夢に近づけると信じている!
大畑 大介選手
大畑 大介選手(ラグビー選手 2000-2004年日本代表)
一生懸命になれることのかっこよさを知ってもらいたい。

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株式会社JSコーポレーション 代表取締役社長 米田英一