PROFILE
1974年2月27日生まれ。北海道出身。幼稚園の頃から兄弟とともにスケートを始める。高校は白樺学園高校スポーツ科へ進学、スケート部に所属し、91年の浅間選抜500メートルで日本高校新記録を、全日本スプリントでは総合4位になり注目を集める。そして93年、イタリアで行われたスピードスケートW杯では初出場で初優勝を果たし、世界トップスケーターとしての地位を築いた。オリンピックは94年のリレハンメルから06年のトリノまで4大会連続出場し、長野で500m金、1000m銅、ソルトレークで500m銀のメダルを獲得。W杯でも通算優勝回数34回、世界距離別選手権500mでは98年から4連覇を果たし01年大会では当時の世界記録を樹立するなど輝かしい成績を誇る。また長野オリンピック後、NECに所属し、複数の企業ともスポンサー契約を交わし活動を始める。中でも長期管理喘息治療薬の発売元であるグラクソ・スミスクライン社とは、本人が幼少の頃から気管支喘息を持つという立場から喘息の啓蒙活動にも力を入れている。清水 宏保選手の学生時代は・・・
何よりも世界選手権・オリンピックに出たかった
僕は小さい頃からやんちゃで、家にじっとしていない子どもでしたね(笑)。特に僕が生まれ育った北海道帯広市はスケートの盛んなところで、兄弟もみんなスケートをやっていましたし、特に姉は本格的にスピードスケートをやっていたので、僕も幼稚園の頃からスケート靴をはいて滑っていました。帯広では、それが僕たち子どもの遊びだったんです。もちろん北海道という環境からスキーも身近でしたが、普段の生活にはないスケートのスピード感といったものがすごく楽しかったんです。だから帯広市という環境に生まれ育ったことが、スケートに関わるきっかけだったんでしょうね。その後、中学からスケート部に入り、白樺学園高校ではスポーツ科に進学し、そこからはスケート一筋の学生生活でした。
クラスにはスケート以外のスポーツの選手もいましたが、ほとんどが練習と競技会の毎日で、授業よりもスポーツ優先という選手にとっては恵まれた環境でした。ただ、普通の高校生のように一緒に遊んだという友達はいませんでした。自分の目標に向かって一生懸命に頑張っている仲間同士っていう感じですね。
そして最初の印象深いレースが、高校1年の時に出場したトライアルレースでした。前年度のチャンピオンで後にリレハンメル五輪で銅メダルに輝いた堀井学選手に勝ったときは、うれしいのはもちろんですが「これは、まぐれだな」という気持ちのほうが大きかったです。だから、もっと強くなりたい、日本のトップに勝ちたいという気持ちがどんどん強くなっていったし、練習にも更に打ち込むことができました。ただ、高校生のときは、プロになりたいとか、将来スケートで食べていきたいなんて先のことは考えていなかった。何より世界選手権に、オリンピックに出たいという目の前の大きな目標がありましたから。
クラスにはスケート以外のスポーツの選手もいましたが、ほとんどが練習と競技会の毎日で、授業よりもスポーツ優先という選手にとっては恵まれた環境でした。ただ、普通の高校生のように一緒に遊んだという友達はいませんでした。自分の目標に向かって一生懸命に頑張っている仲間同士っていう感じですね。
そして最初の印象深いレースが、高校1年の時に出場したトライアルレースでした。前年度のチャンピオンで後にリレハンメル五輪で銅メダルに輝いた堀井学選手に勝ったときは、うれしいのはもちろんですが「これは、まぐれだな」という気持ちのほうが大きかったです。だから、もっと強くなりたい、日本のトップに勝ちたいという気持ちがどんどん強くなっていったし、練習にも更に打ち込むことができました。ただ、高校生のときは、プロになりたいとか、将来スケートで食べていきたいなんて先のことは考えていなかった。何より世界選手権に、オリンピックに出たいという目の前の大きな目標がありましたから。
記録や結果より、もっと大事なことを学んだ
スケートにはまったのは、そのスピード感も大きかったけど、何より自分で目標を決めて挑戦していくプロセスが好きだからだと思います。学生時代からの夢であった世界選手権の優勝やオリンピックでメダルも手に入れましたが、それがゴールとは思っていません。これは、僕が人生で大きな影響を受けた父と、高校時代の監督から学んだことですが、目標をどのように持ち、どう進んでいくか。その為には何をするべきかという考え方ができるようになりました。そして記録や結果という現状に満足してしまうのではなく、その後の考え方や行動が大事なんだと。もちろんスピードスケートという競技は記録を出すことが一番ですが、僕はその記録を守ることより常に自分の新しい目標に向かって挑戦していくスケートでありたいと思いますね。
それと、僕は子どもの頃から喘息という病気を持っていて発作や入院を繰り返してきました。そんな僕にとってスケートは、喘息を克服するための手段でもありました。滑ることで肺に負荷をかけ強く鍛えることができたからです。もちろん今でも薬と上手につきあっていますが、スケートを続けてきたことが僕の病気には良い効果をもたらしてくれました。僕はスケートを通して、たくさんのことを学んできたんだと実感できますね。
それと、僕は子どもの頃から喘息という病気を持っていて発作や入院を繰り返してきました。そんな僕にとってスケートは、喘息を克服するための手段でもありました。滑ることで肺に負荷をかけ強く鍛えることができたからです。もちろん今でも薬と上手につきあっていますが、スケートを続けてきたことが僕の病気には良い効果をもたらしてくれました。僕はスケートを通して、たくさんのことを学んできたんだと実感できますね。
清水 宏保選手からのワンポイントアドバイス
技と体力、そして精神力の訓練も必要
高校のスケート部時代は、与えられた練習メニューをやっていました。特に自主トレみたいなことはしませんでしたが、集中力を常に心がけていましたね。特にスプリント競技には技や体力だけではなく精神力が大きく影響すると思います。それは、失敗してもくじけない精神力であったり、レースに近い精神状態を作るイメージトレーニングでもあります。こういった精神面の強さが技と体力に合わさったら、記録や結果にも大きく影響してくると思います。その為にも普段から意識を高く持つようにしましょう。
そして具体的な練習は、やはり基礎練習とウエイトトレーニングですね。
(1)ハイパワートレーニング
短時間で力を出し切るためには、筋肉が最大でどれほどの力を出すかを鍛えることが効果的。一般的なウエイト(筋肉)トレーニングなど。
(2)ミドルパワートレーニング
パワーの持続力を鍛えるには、高い負荷に耐えつついかに長く運動するかというトレーニングが効果的。ランニングや縄跳び、水泳など。
(3)ローパワートレーニング
運動能力の維持と、疲労のたまりにくく抜けやすい体を作る為には、長時間の安定した有酸素運動が効果的。水泳やエアロバイクなど。
以上の基礎練習を、バランスよく続けることが大事だと思います。
そして具体的な練習は、やはり基礎練習とウエイトトレーニングですね。
(1)ハイパワートレーニング
短時間で力を出し切るためには、筋肉が最大でどれほどの力を出すかを鍛えることが効果的。一般的なウエイト(筋肉)トレーニングなど。
(2)ミドルパワートレーニング
パワーの持続力を鍛えるには、高い負荷に耐えつついかに長く運動するかというトレーニングが効果的。ランニングや縄跳び、水泳など。
(3)ローパワートレーニング
運動能力の維持と、疲労のたまりにくく抜けやすい体を作る為には、長時間の安定した有酸素運動が効果的。水泳やエアロバイクなど。
以上の基礎練習を、バランスよく続けることが大事だと思います。
2004年11月 西谷 岳文選手(スピードスケート・ショートトラック選手 長野冬季オリンピック 金メダリスト)
今の僕にとってスケートの魅力は、自分だけでなく相手があって滑る楽しさなんです。
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