岸川 聖也選手
プロ卓球選手 北京オリンピック日本代表
岸川 聖也選手
プロ卓球選手 北京オリンピック日本代表PROFILE
1987年5月21日生まれ。福岡県北九州市八幡西区出身。5才から卓球を始め、仙台育英学園秀光中等教育学校、仙台育英学園高等学校を経て2006年にプロ卓球選手になる。2003年よりドイツブンデスリーガに在籍。現在スヴェンソン所属。高校在学中、夏のインターハイ男子シングルス優勝3連覇という偉業をなす。2005年には全日本卓球選手権大会で高校生として52年ぶりとなるベスト4入りを果たした。2008年の北京オリンピックに出場。2009年横浜で開かれた世界卓球選手権においては、水谷隼選手とのダブルスで銅メダルを獲得する。これは男子で97年大会の松下選手・渋谷選手組以来12年ぶりのメダルである。巧みなネットプレーとバックハンドドライブ、正確な台上技術と安定感抜群の両ハンドが武器の素晴らしい選手である。今後も世界卓球界を舞台にますます活躍が期待される。岸川 聖也選手の学生時代は・・・
インターハイ3連覇は、つらい思いを乗り越えた成果
中学校3年生の頃からはドイツへ留学したんですが、苦労しましたね。最初は言葉もわからないし、しゃべれない、食事をするにもすごく苦労したのを覚えています。和食がすごく恋しくなりました(笑)。卓球の練習は、毎日5~6時間していました。
インターハイで優勝した高校1年生のときは、“絶対3連覇してやる!”という気持ちでした。実際、高校3年生で、3年連続優勝が実現したとき、日本人として初だったこともあって、とても嬉しかったです。今思えば、学生時代に苦労やつらい思いを耐えて乗り越えてきたからこそ、実現できたんだと思います。
プロとしての卓球人生、北京オリンピック・・・
周りの皆さんの応援が僕にとっての卓球人生の原動力です
そして今一番心に残っている試合は、やっぱり北京オリンピックです。学生の頃から世界選手権大会などにも出場していましたけど、オリンピックは特別ですね。卓球の場合、日本代表に選ばれたからといって、オリンピックに出場できるというわけではないんです。オリンピックに出場するには、まず日本代表に選出されて、さらにアジア予選を突破しなければなりません。アジア予選という壁があるだけに、その壁を越えたときはすごく嬉しかったです。それだけオリンピックは僕にとって特別な舞台です。もう何が何でも絶対オリンピックに出たかったんですよ(笑)。
北京オリンピックでは、あともうちょっとというところでメダルを逃してしまいましたが、次のオリンピックでは絶対メダルを取れるように頑張ります。学生の頃は、ただ卓球が楽しくて、全国大会や世界大会で勝ちたいと思ってひたすら卓球をしていました。でも、最近は周りの人たちやスポンサーさんがすごく応援してくれたり、皆さんが僕のためにいろいろやってくださっているので、そういう人たちのためにも頑張らないといけないと感じています。本当に感謝しています。僕が試合で勝てば皆が喜んでくれる、これが卓球を続けていく上での、僕の原動力です。
岸川 聖也選手からのワンポイントアドバイス
卓球の基本を自分のものに
(1)まずは基本姿勢をしっかり身につけること・・・自然体で、すぐ動き出せるようなリラックスした姿勢をとる。目は相手を見て、顎を少し引く。背筋を伸ばして、やや前屈みになり、肩の力を抜く。胸の前に手がくるように両腕の肘を曲げる。膝は少し内側に入れて、かかとは軽く浮かせる。足は肩幅よりやや広めに開き、右足のつま先と左足のかかとが同じラインになるように立つ。
(2)ボールに慣れる練習1(ラケットリフティング)・・・ボールが地面に落ちないように空中でボールをつき、慣れてきたらボールのバウンドの高さを変える。また、ラケットを裏・表と切り替えしてボールをつくなど、バリエーションを増やしてやってみてください。
(3)ボールに慣れる練習2(スピン・リフティング)・・・ボールの下を水平に切るようにつき、回転をかける練習です。回転がかかっているかどうかは、落ちてくるボールを垂直に構えたラケットに当ててみるとわかります。回転がかかっていればボールは山なりに弾むはずです。この練習で、ボールの回転に対する感覚を養うことができます。
(4)ボールに慣れる練習3(壁打ち)・・・ノーバウンドで壁打ちをします。壁との距離を遠くしたり、近くしたり、間隔を変えながらやってみてください。また、床にワンバウンドさせて壁打ちする方法もあります。
基本をしっかりと自分のものにしてから、技術的な応用を学んでいくことが大切だと思います。
※この記事は2009年7月に取材したものです。プロフィール等は取材時点のものですので、ご了承ください。
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