PROFILE
1966年12月17日生まれ。岡山県出身。小学校時代は陸上クラブ、中学ではバスケットボール部とスポーツに親しみ、就実高校時代に陸上部へ入部。日本体育大学を卒業後はリクルートに入社。陸上部で小出義雄監督の指導を受け1990年の大阪国際女子マラソンで初のマラソンレースに出場する。翌年には同大会で日本最高記録を出し一躍、日本のトップランナーに。そして1992年のバルセロナ五輪で日本女子陸上では64年ぶりの快挙となる銀メダルを獲得した。その後はケガにも悩まされたが1996年にはアトランタ五輪に再び出場し銅メダルを獲得。二大会連続のメダル獲得という日本女子陸上において初の快挙を成し遂げた。2007年「東京マラソン2007」で、プロマラソンランナーを引退。その間も1998年NPO「ハート・オブ・ゴールド」設立や、2002年アスリートのマネジメント会社「ライツ」設立など意欲的に活動。そして現在は国際陸連の女性委員、日本陸連理事、国連人口基金親善大使など、スポーツを通して様々な分野でも活躍する。有森 裕子さんの学生時代は・・・
頑張ることで、自信が持てるようになった
でも、まだ陸上でいこうとは思っていなかったので中学ではバスケット部に入っていたんですよ(笑)。そして中学の運動会のときでした。800mの競技があって誰も出たがらなかったんですよ、キツいから。そこで「じゃあ、挑戦してみようか」と思って出たら走れちゃったんですよ(笑)。その時「頑張ったらできるんだ」ってことに気づいて、これが大きなきっかけとなり「陸上をやっていこう!」と決めたんです。
高校に進学してからは陸上部に所属し、練習はキツかっけど全力でやることが気持ちよかった。頑張ることが好きだったんですよね(笑)。当時は、まだ女子に長距離は少なくて、これから女子の長距離選手を育てていくという時代でしたから、頑張ってやっていればチャンスが来ると思っていましたね。でも実際に、国体とかインターハイも出ていませんし、都道府県の駅伝も3年連続補欠だったしで、まったく成績が残せなくて「もう、やめようかなぁ」と思ったのが高校3年の冬でした。
オリンピックで得たものとは・・・
達成感から生まれた、新たなチャレンジ精神
実業団に入ってからは半年目ぐらいに国体の選考会があったんです。国体には出たかったから頑張って会場にいったんですが、所属先が登録を忘れていてゼッケンもなくて。だから自分で1番のゼッケンを作って出ました。結果、選考会は通ったんですが「登録をされていないなかったのでダメ」と言われてすごく悔しい思いをしました。でも、その悔しさが逆にバネになり、大阪国際女子マラソンや世界陸上選手権で成績を残すことができ、ついにオリンピックの切符を手にしたんです。
オリンピックとは競技者にとってやはり大きな目標だったし、そこから選手としても何かが開けていくと思っていました。だからバルセロナでは銀をとれたこともすごく嬉しかったし、世界のトップランナーが持つおおらかで安定感のある走りにも挑戦していきたいと強く思いました。でも、その後のアトランタまでの4年間はある意味プレッシャーもあったし、手術なんかもあって大変。だからアトランタで銅メダルをとれた時の感動は大きかった。あのときの言葉と涙には、それまでの辛かったことが次々と思い出されて、この場所に戻ってこられたことへの喜びとか「やっと終わった」という達成感があったんです。そして2度のオリンピックを経験して「もっと世界を知りたい」という気持ちから現在につながっています。
有森 裕子さんからのワンポイントアドバイス
走の基本となる、体の軸をしっかり作る
(1)走る、歩くをしっかりと・・・全ての陸上の基本となります。
(2)上半身の補強・・・日本人は特に上半身の固定感がつきにくく、腰から上が弱い人が多いので、上半身の補強をするための腹筋やウエイトトレーニングは効果があります。足だけで走ると疲れるので、長距離には特に大切です。
(3)フォームを意識する・・・腕の振り方、足の運び方、腰の位置など。ゆっくりでも速くでも、自分のフォームを意識した練習をするようにしてください。
以上のポイントは、陸上の基本です。短距離、長距離に関係なく、長く競技を続けていきたいのであれば、このポイントを心がけて練習してください。
※この記事は2008年3月に取材したものです。プロフィール等は取材時点のものですので、ご了承ください。
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