僕が育ったのは大阪府泉南郡熊取町というところなんですが、近くに大阪体育大学があったことは僕の運命だったかもしれません。その大学の体操スクールに、同じ小学校の友達が通っていたこともあって僕も通うようになったのが小学校3年生の時でした。最初の頃は基本の体作りだったので、体育の授業の延長のようですごく楽しかったですね。友達も一緒でしたから。小学生の大会に初めて出場したのは小学校5年生の時でした。初めての試合でしたが、緊張というよりも興奮でしょうか、体中のアドレナリン全開という感じで、すごく体が動いたような印象を憶えています。もうこの時に体操が好きになっていたんでしょう。 中学は大阪体育大学付属中学校に進み、体操部に入部しました。練習は大学でやっていましたが、練習も本格的になっていきました。練習時間も長くなるし、今までの楽しいだけの体操ではなくなりましたね(笑)。でも、得意の跳馬で優勝したいという大きな目標があったので、しんどい練習も頑張れたんだと思います。だからもっと上手く強くなりたかったので、高校進学では体操競技の強豪校だった岡山県の関西高校を選びました。ただ、僕は附属中学だったのでそのまま高校・大学と進むものだと周りも考えていたので、事実、かなり反対もされました。でも、中学時代の先輩も関西高校に行ってすごく上達していたので練習にもすごく興味があり、この学校なら僕ももっと上手くなれると思って選びました。 関西高校に入学してからは、まずは体操部でレギュラーになることが最初の目標でした。当時の部員は約30名、その中でレギュラーになれるのは6人だけです。寮生活を送りながら、毎日長時間の練習をこなすのが精一杯でしたね。結局、1年の時はレギュラーになれず、2年からレギュラーとして大会に出場することができました。その他の高校時代の思い出といえば、文化祭です。男子校だったので、外から女子高生がたくさん来ていたのがすごく新鮮でした(笑)。かわいい男子高校生ですよね。
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