PROFILE
1993年9月9日生まれ。埼玉県草加市出身。元日本代表体操選手の父の影響もあり、4歳から体操を始める。中学時代の2008年、初めて出場した国際大会で個人1位となるなど、すでに頭角を現しはじめていた。男子体操の名門校・埼玉栄高校に進学後は2011年に高校生でナショナル入り。そして順天堂大学進学後の2012年に初めて日本代表に選出されロンドンオリンピックに出場、団体総合銀メダルに貢献した。その後は2012年の全日本学生選手権で優勝、2013年ワールドカップ東京大会で銀メダルと着実に実力を伸ばしていった。また同年は怪我を抱えながらもNHK杯2位、世界選手権では個人総合銀メダルと大健闘した。2014年も世界選手権で団体総合銀メダル、2015年はアジア選手権と世界選手権の両大会で団体総合優勝する活躍を見せた。2016年、順天堂大学を卒業し日本代表が多数所属するコナミスポーツクラブに入社。同年、二度目の出場となったリオデジャネイロオリンピックでは団体総合で見事、金メダルを獲得した。2020年の東京オリンピックに向けて、さらなる活躍が期待されている。加藤 凌平選手の学生時代は・・・
最初は体も硬く、みんなに追いつくための練習に必死だった
小学校・中学校時代、コナミスポーツ体操競技部の体育館が練習の拠点でしたが、高校から生活や環境もガラリと変わりました。埼玉栄高校は体操の強豪校で、全国でも常に4強に入っているような高校でした。高校からは寮に入り、体操部で練習するようになりました。当時は体操が8割、勉強が2割といった感じでしたね(笑)。やはり高校時代から代表合宿や国際大会への出場もあり、どうしても学校の出席日数は少なくなっていました。でもその分、短い時間で集中して勉強することも身についたと思います。
順天堂大学進学、そして初めてのオリンピック出場へ・・・
ロンドンでの銀が、リオへの更なるモチベーションだった
そして夢だったオリンピックの初出場は、2012年のロンドンオリンピックでした。前年に世界選手権の補欠として会場で見てはいたので、試合に関してはいつもとあまり変わらないという印象でした。ただ歓声は世界選手権よりも大きかったですが。多分、当時はまだ代表の心構えみたいなものが分かっていなかったので、マイペースで演技できたんだと思います。また、ロンドンでの団体銀メダルという結果が、新たな闘志にもつながり、『次は絶対に金メダルをとりたい』という思いが強くなりました。ロンドン後の4年間はとにかく代表に残ることを一番に考えて練習していました。でも世界選手権では惜しいところで負けることもあって、代表に残る難しさを経験してのリオデジャネイロオリンピックは、2度目の出場でもありましたがプレッシャーは感じていました。ただ、ロンドンの時のメンバー4人がそのままリオの代表だったので、ロンドンでの悔しさはみんな同じでした。だからこそ金メダルへの思いも強く、実際に金メダルを手にした時は最高の喜びと達成感でいっぱいでした。
加藤 凌平選手からのワンポイントアドバイス
基本がしっかりしていなければ、技の質は向上しない
(1) 自主トレーニング・・・本格的な練習に入る前に各自でストレッチをします。ストレッチは全身の筋肉をほぐし、温めることができるので、練習に入る前の準備運動としても重要です。また、自分自身の弱い部分を鍛えるための筋肉トレーニングも力を入れていました。例えば、腕や腹筋、背筋などの部分的な筋力アップを目標にしたトレーニングをやっていましたが、高校時代はマシーンを使うよりも自重を使った筋トレが中心でした。特に高校時代は、体が大きく成長する時期なので体の土台づくりを考えて練習メニューを作ってください。
(2) 全体練習・・・高校時代に一番きつかった練習です。宙返りや着地止めなど、体操競技の動きの基本となる練習です。特に宙返りや着地止めという動きは、色んな動きに必要な体幹を鍛えることにもなります。
(3) 種目別練習・・・男子の体操競技にはゆか、あん馬、つり輪、跳馬、平行棒、鉄棒の6種目あるので、毎日6種目の練習をしていました。特に僕は筋肉が少なかったので、力技が問われるつり輪は当時から苦手種目ではありました。またゆかは得意種目でしたが、練習はすべての種目を行い、種目ごとの技を身につけていきます。
体を使って練習するのが一番ですが、自分の練習ビデオをチェックしたり、強い選手の演技を見たりしてイメージトレーニングもしました。また上手い選手の演技と自分の演技を客観的に比べて修正や補強することも大事な練習だと思います。そして何より、今の自分に何が足りないかを自分で考えて練習することが上達につながると考えています。
※プロフィール等は2019年1月時点のものです。
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