
クラブに入って本格的に体操を始めたのは小学3年の時からです。「体操は基礎運動になるから」という両親の考えもあり、兄もやっていたので自然と体操に馴染んでいったって感じですね。でも、だから好きという訳でもありませんでした。体は痛いし、鉄棒で手の皮はめくれるし、辛い方が強かったと思います。やっと楽しさを感じるようになったのは、試合に出られるようになった小学5年頃からですね。試合で勝てば褒められるしプラモデルも買ってもらえたし(笑)。何より、次も勝ちたい、上手くなりたいという目標ができましたね。
小学3年の頃から一人で電車に乗って西宮の体操クラブまで毎日通っていましたから、家でほとんど兄と顔を合わせることもなく、一緒に遊んだ記憶もあまりないんです。今から思えば、その頃から体操選手になるべく英才教育を受けていたんでしょうね(笑)。そして中学進学で私立の清風学園を受験したんですが、とても大変でしたね。体操には自信がありましたが、勉強の方が・・・。そこで急遽、家庭教師をつけてもらって受験寸前に猛勉強したのを覚えています。でも、入学してからも気が抜けなかった。体操で頑張らないと、学校をクビになりかねませんから(笑)。
もちろん中学・高校時代は体操づけの毎日でした。学校が終わると毎日5時~11時まで練習、家に帰ってからは寝るだけという生活。遊んだ記憶もあまりなく、学生生活では唯一、高校の修学旅行に行けたぐらいかな。たまたま試合のスケジュールがなかったので。だから学生時代の思い出といえば体操とは切り離せないですね。特に清風学園体操部の練習場でもあった「マック体操クラブ」はオリンピック選手を何人も送り出している有名クラブで、練習はハードだし、先生も超スパルタでしたから。「ケガなんて根性で治せ!」というスポ根論の先生で、僕らはいつも怒られてました(笑)。でも、一番思い出に残っているのは中学2年の時。練習で跳馬にぶつかったのがきっかけで、急に怖くなって飛べなくなっちゃったんです。その時は真剣に体操をやめようと思って先生に言いにいきました。すると先生は僕を体育館の裏に連れて行き、じっくりと話してくれたんです。いつも怖い先生でしたが、僕を大きく包んでくれた気がして、不思議と怖さがなくなって翌日には跳馬が飛べるようになったんですよ。あの時、先生が声をかけてくれなかったら今の僕はなかったでしょうね。