レスリング選手 東新住建 リオデジャネイロオリンピック レスリング 女子69kg級 金メダル 東京オリンピック 日本代表 |
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※プロフィール等は2021年5月時点のものです。
![]() レスリングに対する向き合い方が変わったのは、小学4年生の時です。アテネオリンピックで吉田沙保里さんが金メダルを取った姿を見て、「私もオリンピックで金メダルを取りたい、沙保里さんみたいになりたい」という夢ができました。それと共に、「もっと強くなりたい」という気持ちも生まれ、向上心を持って練習に励むように。すると、徐々に結果にも表れ始め、気付けば全国大会で優勝できるまでになっていました。試合に勝つ楽しさを知ったことで、ようやく心から「レスリングが好き、楽しい」と言えるようになったのです。そのまま軌道に乗り、中学2年生の時には初めての国際大会に出場。海外選手の身長の高さやパワーの強さには驚きましたが、その中で優勝できた経験は大きな自信に繋がりました。 高校は、レスリングの名門である至学館高等学校に入学。さらなる高みを目指しての進学だったものの、この3年間で、前向きだったレスリングに対する姿勢はまたしても揺らぎ始めます。朝5時半から至学館大学内のレスリング場で朝練、1時間かけて登校し、授業が終わったらまた練習という生活に疲れ果ててしまったんです。練習が嫌になり、レスリング場へ向かう電車を目の前で見送ったこともありました。それでも、天皇杯などの大きな大会で優勝できると、やっぱりすごくうれしくて。勝利の喜びが、私とレスリングを繋ぎ止めてくれていたのかもしれません。 | |
![]() 行き詰まっていた私を救ったのは、三度目の世界選手権後にコーチから言われた、「もう少しリラックスして試合に臨んだ方がいい」というアドバイスでした。私は、レスリングを始めてから約14年間、試合前は誰とも話さず、勝つことだけを考えるスタイルを貫いていたんです。「話しかけるなオーラが出ていた」と言われるほど、自分の世界に入り込んでいました。アドバイスを元に、試合前はコーチやアップの相手と軽く会話を交わすようにしたところ、適度なリラックス状態で試合に臨めるように。すると、今まで以上によいプレーができることに気がついたのです。 こうして迎えたリオデジャネイロオリンピックの決勝戦は、残り40秒まで劣勢が続いていたものの、さほど焦りはありませんでした。直前で登坂絵莉さんや伊調馨さんが逆転勝ちを収める姿を見ており、「自分も絶対に諦めない」という気持ちがあったんです。無事に逆転勝ちを収めた瞬間は、「やっと夢が叶った……」とうれしくなりました。 大学卒業後は東新住建へ入社。次なる目標である東京オリンピックに向けて練習をしていたのですが、2018年の右肩の手術をきっかけに雲行きが怪しくなります。復帰後の世界選手権でメダルを逃し、代表内定が持ち越しに。その後、今度は左ひざに痛みが出始め、いくつもの大会で代表入りのチャンスを逃してしまいました。思い通りに動かない体や応援に応えられない悔しさで、代表入りのラストチャンスであるプレーオフを前に完全に心が折れ、2週間ほどレスリングから離れることに。しかし、今となっては功を奏したように思います。ひざの治療に専念できましたし、「こんなところで終わりたくない」という想いが生まれ、どん底にいた気持ちをうまく切り替えることができました。プレーオフ時には、体も心も立て直し、68kg級の代表の座を死守。オリンピックへの強い想いが、私を支えてくれました。 | |
![]() (1)全身を鍛える「チームメイトをおんぶしながらのトレーニング」…チームメイト2人をおぶった状態で、坂道をダッシュしたり、学校の階段の1階~4階までを駆け上がるトレーニングをしていました。高校時代の練習というと、真っ先にこれが浮かびます。 (2)腕を鍛える「懸垂」…自分のペースで50回、時には100回行っていました。チームメイトとペースを合わせて、一緒に数を数えながら取り組んだこともあります。 (3)足腰を鍛える「ダッシュ」…50mの直線ダッシュは10本、300mダッシュはトラックを使って、インターバルをはさみながら5本以上走っていました。300mは制限時間を設け、時間をオーバーしてしまったら1本追加という要領で行っていました。 厳しいトレーニングで鍛えられるのは、体力面・筋力面だけではありません。「きつい」という状況を乗り越えなくてはいけないため、メンタル面の強化にも繋がります。レスリングは最後の1、2秒での逆転があり得る競技。最後の最後まで目が離せない、何が起こるか分からない点が面白さであり、見る人を惹きつけるポイントでもあります。最後まで諦めない心、つまりメンタル面の強さを鍛える意味でも、厳しい体づくりのトレーニングは重要です。 |