福士 加代子さん
元陸上競技選手(長距離・マラソン) ワコール所属
リオデジャネイロオリンピック マラソン日本代表
福士 加代子さん
元陸上競技選手(長距離・マラソン) ワコール所属リオデジャネイロオリンピック マラソン日本代表
PROFILE
1982年3月25日生まれ。青森県出身。中学時代はソフトボール部に所属し、高校から陸上をはじめる。高校卒業後の2000年にワコールに入社。トラックレースや駅伝で頭角を現すようになり、2002年には5000mで日本人女子初の14分台をマークした。以後、日本を代表するランナーとして第一線で活躍。オリンピックは2004年アテネ大会から、北京、ロンドン、リオデジャネイロと4大会連続出場。2006年のドーハアジア競技大会女子10000mでは金メダルを獲得。5大会に出場した世界選手権では、2009年に10000mで9位、2013年にはマラソンで銅メダルを獲得した。マラソンには2008年から挑戦し、2013年と2016年の大阪国際女子マラソンで二度の優勝を果たす。自己記録は、2時間22分17秒(2016年大阪国際女子マラソン)。2021年12月に、2022年1月末での引退を発表。恩師からの強い要望もあり、都道府県対抗女子駅伝に青森県代表として出場し、アンカーとして出走した。その後、1月30日の大阪ハーフマラソンを完走し、22年の現役生活に幕を下ろした。2022年2月には「トラックの女王」「日本女子長距離界のレジェンド」とも呼ばれ、多くのファンに愛されてきた人生をまとめた書籍『福士加代子』を出版している。福士 加代子さんの学生時代は・・・
のびのびと、自由に陸上に取り組む
陸上を本格的に始めたのは高校生から。中学にも陸上部はありましたが、ソフトボール部に入部しました。小学校のときにプレーしていて楽しかったですし、当時の仲間がいたことも理由の一つです。そうした中、高校で陸上部を選んだ理由は、単純にソフトボール部がなく、友達も入部すると聞いたこと。陸上がしたいとは全く考えてもいませんでした。
こうした心持ちで長距離選手としてスタートした私は、明確な目標もなく、練習にはのらりくらりと取り組んでいました。300mトラックを10周走る練習メニューをごまかして7周でやめたりもしていました(笑)。こうした自由さが許されていたのは、当時の顧問で私の恩師でもある安田信昭先生の存在が大きかったと思います。先生は、私の母校に来る前までかなり厳しい指導スタイルだったそうですが、私たちがよく笑い、楽しそうに取り組む姿を見て、これらをなくしてはいけないと、指導方法を変えられたそうです。おかげで、部活には自由にのびのびと取り組ませてもらえました。
陸上への意識に変化が訪れたのは、高校2年生の時。インターハイを目指して真面目に取り組んでいた陸上部の親友が、全国の選りすぐりの選手が集まる合宿に参加することになり、そこに、安田先生の計らいで私も行くことになったのです。合宿での練習は確かにつらかったものの、それ以上にそこでできた友達との交流が本当に楽しくて。彼女たちと「インターハイで会おう」と約束し、練習にも本腰を入れて取り組むようになりました。こうして、高校3年生の時には、インターハイに出場し、友達と再会。はじめこそ陸上がしたくて入部したわけではありませんでしたが、この選択が恩師との出会いにもなり、人生が変わる大きなきっかけとなりました。
実業団1年目から「引退」を考えてのスタート
「負けたことに負けるな」恩師の言葉と共に走り続けた22年間
選手時代の中でも、初めてのオリンピックであるアテネオリンピックは、今でも忘れられないことのひとつです。私は、実業団所属1年目から辞めることしか考えていないような選手でした。様々な大会でよい結果を出して、オリンピックに出場してメダルを獲って、「どうも! おつかれさまでした!」と明るく、みんなに惜しまれながら引退。そんな「理想の引退像」をイメージしていたんです(笑)。その思いと比例するように、オリンピック出場が決まるまでは走れば走るほど記録が出て、まさに順風満帆でした。しかし、このままオリンピックに向けて調子を上げていこうと思っていた矢先に、足を故障してしまったのです。その焦りから、練習をいくらしても足りない気持ちになり、怪我も思うように治らない。これまでうまくかみ合っていた歯車が、逆回転を起こしているような感覚でした。今思えば、オリンピックが特別なものであると、過剰に考えすぎていたのだと思います。
実はこの時、もう二度とオリンピックには出場できないと思っていたので、恩返しのつもりで高校の同級生と恩師の安田先生をアテネに呼んでいました。しかし、このような状態で勝てるはずもなく、結果は惨敗。心身もボロボロで、ここで辞めようか……という考えもよぎっていました。そんな時、安田先生が「負けたことに負けるな」という言葉を残してくれたのです。こんな姿では終われない。この言葉のおかげで、アテネの結果からも早々に立ち直り、アジア大会での金メダル、世界選手権での銅メダル、マラソンへの挑戦、4大会連続のオリンピック出場、と道が開けていったように思います。
こうして、2022年1月末の大阪ハーフマラソンで、22年間の選手生活にピリオドを打ちました。ここを引退の場に選んだのは、夫から「2019年、2020年とマラソンを途中棄権している。完走して終わった方がよいのでは?」とアドバイスをもらったからです。「大好きな大阪で、応援してくださっている方々の姿を目に焼き付けて終わろう」。颯爽と走り切るつもりが、最後は足がもたず、何度か止まってしまいましたが、すでにゴールしていたほかのランナーさんが一緒に走ってくれたり、会場の皆さんの温かな拍手に背を押されて、無事にゴールすることができました。走り終えた瞬間、「ああ、本当に終わるんだな」と思いながらも、感謝の気持ちでいっぱいになりました。思い描いていた引退の姿とは異なるかもしれませんが、すべてを出し切ったと思っています。
福士 加代子さんからのワンポイントアドバイス
長距離やマラソンの練習は、「誰かと一緒に」取り組もう
今回はその方法をご紹介します。
(1)気持ちを共有し合う…ジョギングなどをするとき、ぜひ一緒に走っている人と「苦しい」「まだまだ大丈夫」「きつい」など、気持ちも共有してみてください。それだけで、つらい気持ちが少しだけ楽になることもありますし、相手がどのようなところで苦しさを感じるようになるのかも見えてくるようになります。
(2)練習から勝負するつもりで戦略的に取り組む…例えば、私はラストの200mが苦手なのですが、チームの中にラストの200mだけが強い子がいたのです。その子に勝つためには、どうしたらよいかを考えるのです。単純な話、彼女がラスト200mまで体力を残さなければよいので、ラストの1000mで一度仕掛けて、その子の足を止めてみてはどうだろうか、など。もちろんそれで自分の体力がつきてしまうことも十分にあり得ますから、そこはトライ&エラーの繰り返しですね。相手の「得意」を活かして、自分の「苦手」を克服するイメージで取り組んでみてください。
これは練習中のみならずレース時もそうですが、私はいつも、仕掛けること=ちょっとしたいたずらのような感覚でとらえていました。相手が苦手なところ、嫌がるところを見つけて、そこを攻めるようにいたずらを仕掛けていく。私はこれが結構好きでした(笑)。特に高校生の時は体力もありますし、ぜひ勝てる可能性を感じる「攻めポイント」を見極めながら、たくさん試してみてください。
それから、長距離やマラソンは、誰でも伸びる可能性があるスポーツだと思います。スタートしてすぐトップスピードで勝負するような競技でもありませんからね。足の速さだけではなく、走り方の工夫次第で記録が変わっていくスポーツですから、そこに面白さを感じハマる方も多いのだと思います。距離を考えると、しんどいと思うこともあると思いますが、自分の可能性を楽しみながら取り組んでみるとよいのではないでしょうか。
※掲載内容は2022年3月の取材時のものです。
2/2ページ