
PROFILE
1972年5月6日生まれ。岐阜県岐阜市出身。中学から本格的に陸上競技をはじめる。岐阜県立岐阜商業高校時代は800mで岐阜県1位、大阪学院大学時代は日本学生種目別選手権の1500mで優勝を果たした。大学卒業後に実業団へ。1998年の名古屋国際女子マラソンで初優勝に輝く。2000年のシドニーオリンピックで金メダルを獲得し、同年には国民栄誉賞を受賞。2001年のベルリンマラソンでは、女性として初めて2時間20分を切る世界記録(当時)を樹立する。2008年に現役引退を発表し、現在はスポーツキャスターとして活躍する傍ら、公益財団法人日本オリンピック委員会の評議員や公益財団法人日本陸上競技連盟の評議員なども務めている。高橋尚子さんの学生時代は・・・
中距離を専門に陸上に励みつつ、教員を目指していた

次第に、県の大会で上位の成績を収めるようになり、中学卒業後は、県一番の強豪校であった岐阜県立岐阜商業高等学校に推薦で進学しました。中学時代に全国大会や東海大会で成績を残しているチームメイトもいて、自然と私もより高みを目指して陸上に励むようになりました。
高校卒業後は大阪学院大学に進みました。両親ともに教員だった影響で、中学生の時から商業・経済の高校教諭になりたいと思っていたので、商業や経済の勉強をしつつ、陸上も続けられる学校を選びました。大学在学中は実業団からスカウトもあったのですが、「教職に就きたいと思っているので、実業団に行くつもりはありません」とお断りをしていたんです。気持ちに変化があったのは大学4年の教育実習後。夢だった先生に近い経験ができたことで一旦気持ちが落ち着き、ようやく陸上を続ける選択肢も視野に入れることができたんです。そこではじめて陸上への想いを自覚し、3年間頑張ってみて、結果が出なければ先生の道にスイッチしようと決めました。
ところがそのことを高校時代の先生に報告したら「日本一、世界一になりたい想いがないなら意味がない。例えば世界で活躍する選手を輩出している小出監督のところに行くぐらいの気持ちを持ちなさい」と言われたんです。小出監督がいらっしゃったリクルートからはスカウトがきていないにも関わらず、どこかその提案に惹かれている自分もいて。なんとかアポイントメントをとり、小出監督と10分だけ話す時間をもらいました。いざお会いすると開口一番「大学生はとっていないから、ごめんね」と言われたのですが、実費で合宿に参加させて下さいとお願いし、1週間後、10日間の北海道合宿の参加を許していただきました。
合宿中は必死で練習に食らいつきました。当時リクルートの実業団チームでエースだったのが、鈴木博美さん。すでにオリンピックに出場されていて、のちに世界陸上で金メダルをとられるほどのトップ選手だった鈴木さんに対し、私は「どうしたら小出監督にとってもらえると思いますか?」と声を掛けたそうです(笑)(自分は忘れていました)。その時に「自分の存在をアピールするように、前に出て積極性を見せないとだめだよ」と言われ、次の日から一番前を走ってアピールもしました。すると合宿最終日、想いが実って小出監督にチームに誘っていただきました。一時はだめと思った時も諦めずに最後まで挑戦したことで新たな道が開けたことを、本当によかったと思っています。
陸上に人生を賭ける覚悟で小出監督のもとへ
監督がいなければ、オリンピックで金メダルはとれなかった

こうしてはじまったマラソン選手としてのキャリア。はじめは中学時代から重ねてきた陸上経験を活かし、自分なりの意見を交えながら小出監督と練習をしていました。しかしずっと現状維持でなかなか実力が伸びない葛藤があり、これまでたくさんの選手を育ててきた小出監督にすべてを委ねてみることに。約2年間は自分の気持ちを封印し、監督が考えた練習を監督が求めるレベルでこなせることを目指して食らいつきました。苦しかったですが、この経験をしたことで、自分の殻を破ることができたと思っています。
1998年のアジア大会では、自身が持つ日本記録を3分半近く更新することができました。この頃からようやくオリンピックが視野に入り始め、練習は第二フェーズへ。自分の体や気持ちを的確に監督に伝えることで、よりよい練習を作るスタイルに変化しました。例えば、練習メニューに30km走がある日、40km走れそうな感覚があれば、そのことを伝えます。監督は「じゃあ40kmいこうか」「次の練習があるから30kmのほうがいいんだよ」などと練習メニューを微調整してくださりました。
そして1999年、ついにオリンピック選考を兼ねた世界陸上が行われました。“優勝候補”と言われるくらい世間の注目があったのですが、大会直前に、足の痛みが出て、痛み止めの注射を打ちながら練習していたんです。すると世界陸上当日の朝、監督から掛けられたのは「レースはやめよう」の一言。優勝はできなくても、3位までに入ればオリンピックの出場権を得られたので、どうしても出たいと泣きながら訴えました。すると監督は「山登りだとすれば、今は八合目で大吹雪に遭っている状況。ただ達成感を得るために登っても、みんなに心配をかけるし、たとえ頂上に登ってもいい景色なんて見えない。ここは一旦降りて、俺が次にもっと高い山に登らせてやるから」と言ってくださったんです。世界陸上より高い山はオリンピックしかありません。その言葉を聞き、他にもたくさんのチームメイトがいるものの、監督はまだ諦めずにオリンピックを目指して私を指導してくださるんだと安心し、棄権する決意ができました。その後、無事にシドニーオリンピックの切符を獲得し、金メダルを手にすることができました。相応の練習を重ねてきた自負はありますが、それ以上に、小出監督がいてくださったからこそ届いた結果だと思っています。
高橋尚子さんからのワンポイントアドバイス
“好き”を探すところからはじめよう

(1)腹筋……体幹を鍛えると、体のバランスがとれて走りに安定感が出てきます。私も現役時代は一日2000回腹筋をしていました。そこまでする必要はありませんが、上半身を起こすノーマルな腹筋に加え、上半身を起こした時に左右にひねりを加えたり足をあげる腹筋など複数パターンの腹筋をそれぞれ7~10回ずつ行って、腹筋全体をバランスよく鍛えましょう。
(2)お尻の筋トレ……お尻(臀部)を鍛えると、足が着地をした時の衝撃が少なく、体がブレづらくなり、より効率よく走れるようにもなりますよ。横向きに寝て、足をピンと伸ばした状態から、上側にある足を真上に上げます。そのまま上下に動かしたり、足の付け根から回したり足首だけを回したりしましょう。それぞれ少しずつ鍛えられるお尻の筋肉がちがうので、組み合わせながらそれぞれ7~10回ずつ行ってください。私は現役時代、5000mのベストタイムが1、2年更新できなかった時、3か月お尻のトレーニングをしたら一気に40秒更新できたこともあったんです。私は魔法の補強と呼んでます(笑)
(3)鉄棒運動……鉄棒運動をすると、自分の体を自分で操る感覚が身に付きます。まずは鉄棒にぶら下がるところからはじめましょう。ぶら下がることで体が伸び、疲労回復にも効果があります。慣れてきたら懸垂にチャレンジし、さらに慣れてきたら、懸垂で上に上がった状態からそのまま逆上がりをしてみましょう。懸垂逆上がりを10回くらいできるまでステップアップしたら、きっと自由自在に体を使えるようになっているんじゃないかと思います。
夢や目標をもつことや得意なことが分からない人もいると思います。そういう時は得意なことではなく、好きなことを探してみてください。好きなことなら楽しく取り組めると思いますし、続けることできっと好きが得意にそして目標に変わるはずです。
もちろん、時にはしんどいことに取り組まなくてはならない時もあるでしょう。私も現役時代は小出監督の練習がつらいと思う瞬間もありました。ただ、実業団に入っている以上、仕事としてしっかり練習を全うしなくてはなりません。その代わりに練習後には“探検ラン”といって、普段通ったことのない道を1時間ほど走っていました。仕事ではない遊びのランニングで楽しさを常に感じられていたから、今でも陸上を好きでいられているのだと思います。競技を好きになった頃の気持ちを時々思い出すことが、長く競技を楽しむ秘訣かもしれませんね。
※掲載内容は2025年12月の取材時のものです。
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