【特集】森島寛晃選手からの高校生へのメッセージ | 日本の学校

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アスリートからの熱いメッセージ

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森島 寛晃さん プロフィール

森島 寛晃さん

元プロサッカー選手

PROFILE

1972年4月30日生まれ。広島県出身。小学校2年生からサッカーを始め、広島の名門・大河FCに加入。静岡県の東海大学第一高校(現・東海大学付属翔洋高校)卒業後の1991年に、プロ契約でヤンマーディーゼルサッカー部に入団。チームはセレッソ大阪と改称し、1995年にJリーグ参入。初年度はチームの中心選手として50試合に出場、11ゴールを挙げベストイレブンに選出された。同年、日本代表に選出され、1998年のワールドカップフランス大会に出場。また1998年からはセレッソ大阪の主将として活躍し、2000年のハッサン2世国王杯、アジアカップ、2001年のFIFAコンフェデレーションズカップ、そして2002年のワールドカップ日韓大会にも出場した。2008年に現役を引退。その後はアンバサダーとしてチームの広報活動やサッカー普及の活動に力を入れている。また、大阪を中心に子ども達にサッカーを指導する「モリシアカデミー」も開催している。

森島 寛晃さんの学生時代は

いつか先輩のように、日の丸を背負ってプレーしたい!

森島 寛晃さん写真
 僕の育った広島には近くに山も海もあり、毎日、自然の中を駆けまわっているような子どもでした。そんな性格だからスポーツも大好きで、よく友だちと野球をやったりもしていました。そして小学校2年生の時に友だちに誘われて地元のクラブチーム、大河FCに入ったんです。そのクラブチームで出会ったのがOBでもある木村和司さんです。元日本代表でもあり現在は横浜F・マリノスの監督をされてらっしゃる方ですが、その大先輩が僕たちと一緒にボールを蹴ってくれたという経験が、いつか先輩のように日の丸を背負って日本代表としてプレーしたいという目標を持たせてくれました。それからはサッカーに夢中でした。何よりみんなでひとつのボールを追いかけてシュートを決めたときのうれしさや楽しさ、そして負けた時の悔しさを小学生なりに感じていたんだと思います。中学生まではクラブチームに所属しており、高校は静岡県の東海大学第一高校に入学しました。
東海大第一高校は当時、全国で優勝・準優勝しているような学校で、僕自身もこの学校でサッカー選手として実力を付け実業団へ入りたいという目標を持っていたので、レベルの高い高校でサッカーができるうれしさも大きかったんです。
 高校時代は寮生活でしたが、それが何ともユニークな環境でした。寮といっても大きな一部屋をカーテンでいくつにも区切った部屋で、個人のスペースはベッドと簡単な洋服ケースだけ。でもカーテンを開ければみんなで同室みたいな感じでした。初めての寮生活でホームシックになったこともありましたが、とにかく高校生活の大半はサッカーだったので、僕の人生の中でもあんなにサッカーをやった時期は他にはありませんね。だから高校時代の思い出ってあまりないんですよ。でもそれだけにチームの仲間との絆やサッカーへの思いは強かった。僕にとっては何より貴重で充実した高校時代を送れたと思っています。

卒業後は実業団へ。そしてJリーグ、日本代表へ

1998年のワールド杯は、日本サッカーの新しいスタートだった

森島 寛晃さん写真
 静岡というところは、本当に名門高校が多く、いい選手もたくさん育っていました。僕は全国でプレーもできなかったんですが、セレッソ大阪の前身であるヤンマーディーゼルサッカー部からオファーをいただきました。僕としても実業団に入ることが第一の目標で、いずれは日本代表になりたかったので、すごく大きなチャンスをいただいたと思いました。広島時代に所属していた大河FCの浜本敏勝監督にも相談し、後押しをしてもらった形で入団を決めました。当時はまだJリーグがなかったのですが、将来はプロ化を目指すというチームの方針もあり、僕は1991年にプロ契約で入団しました。
 そんな中で1993年にJリーグが開幕し、サッカーというスポーツへの注目度や環境も大きく変わっていきました。今まで僕たちヤンマーディーゼルの試合は、身内がどこにいるのかも分かるくらいしか観客もいなかったし、盛り上がりもそんなに激しくなかったんですよ(笑)。ところがJリーグの派手さというか華やかさ、サポーターの盛り上がりや注目度はすごかったですね。この頃から自分の今までの姿勢も変わったと思います。チームとしても個人としても一日も早くプロリーグに参戦したかったし、プロとしても素晴らしいプレーをしなければいけないというモチベーションも上がっていきました。チーム名も1994年にセレッソ大阪に改名し、翌年、ついに僕たちのチームもJリーグに参入したんです。そのJリーグ最初の試合が広島でした。故郷でのJリーグデビューということもあり、僕の中では一番印象深い試合です。そして解説も憧れの木村和司さんでしたし。
 でも、何より忘れられないのが、やはりワールドカップですね。1997年の予選で勝ち、1998年のフランス大会に日本が初出場しました。日本にとっても新しいスタートの瞬間でした。僕がピッチに立ったのはほんの10分ほどでしたが、今時分が日の丸を背負ってチームの一員でいるという感動、そしてワールドカップ独特の世界観は忘れられませんね。鳥肌が立ちました。僕らが中学生のときテレビで観たワールドカップメキシコ大会。あのマラドーナ選手のプレーに感動した瞬間から、いつかこのピッチに立ちたいと思い続けてきた夢でしたから、何とも言えない気持ちでした。その後も日本は日韓大会、ドイツ大会、南アフリカ大会と出場を果たし、日本のサッカーは素晴らしい躍進を続けています。そんな日本サッカーの一時代のスタートに関われたことが、サッカー選手としても誇りです。

森島 寛晃さんからのワンポイントアドバイス

基本練習にも、強い思いを持って取り組む

森島 寛晃さん写真
 日本のサッカー選手は、今や世界で活躍するまでになってきました。これはJリーグはもとより、選手、そしてチームのレベルも確実に向上している証拠だと思います。そんなJリーグをはじめ世界中のクラブチームで活躍する選手達も、少年時代、学生時代に特別な練習をしていた訳ではないと思います。僕自身、現役時代も、そして現役を離れ少年達に「モリシアカデミー」で指導やアドバイスをする時に言う言葉は「何より大事なのは基本練習です」ということです。
 どんな練習でも積み重ねていくことで身につくものです。たとえ不得意なことでも、努力していくことで補える何かを見いだせることもあります。たとえば基本練習ですが、
(1)走る・・・これはサッカーの基本とも言えます。試合中、ピッチの中を走り続けられる体力と足、下半身を強化することは大切です。でも、僕の場合は足が遅かったんです。だからこそ、人よりも速く走り出すタイミング、動くポイントを考えるようになりました。
(2)パス・コントロール・・・たとえば2人で蹴って止めてという練習を繰り返す中で、どの部分で止めて受けるのかを意識しながら練習することが効果的です。
(3)キック、シュート・・・どこに蹴るのか、ポイントに正確に蹴る練習を心がけてください。正確なキックやシュートを身につけるには、積み重ねが一番です。

基本練習は、はっきり言って面白くないですよね。でも、どんな練習もやらされてするのではなく、「上手くなりたい」という気持ちを持って取り組むことが重要なんです。ただメニューを淡々とこなすのではなく、強い思いがなければ身につくとは思いません。どんな練習でも、取り組む姿勢によって上達も違ってくると思います。サッカーは体だけでなく頭も使うスポーツだということを理解して練習してください。「心・技・体」です。

森島 寛晃さんからみんなへメッセージ

目標に向かって、諦めずに歩き続ける

森島 寛晃さん写真
 僕は子どもの頃から通っていたクラブチームで、仲間を大事にすること、仲間を信頼することを教わりました。この教えは高校に進学しても、プロとなっても変わらずに持ち続けてきた信念でもあります。僕はサッカーを通してたくさんの事を学びましたが、何一つをとってもその後の人生に必要なことだったと思います。そしてクラブチームでは憧れの木村和司さんや浜本監督と出会い、僕の人生の目標が確かなものになりました。このクラブチームでの数年間が、その後のサッカー人生で大きなチャンスと影響を与えてくれたと思っています。でも、何かを学び身につけるにしても、どんな出会いやチャンスに巡り会っても、自分自身の目標がなければスタートラインにも立てません。みなさんも高校時代でしかできない経験や学びの中から、自分自身の目標を見つけてください。途中で変わったっていいんです。大事なのは目標に向かって諦めずに歩き続けること。努力は必ず結果を生みます。必ず夢は叶うと、僕は信じています。

※プロフィール等は2011年4月時点のものです。

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加地 亮選手(サッカー選手)
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厳しさを知り、そして夢とチャンスを掴むことができた

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株式会社JSコーポレーション 代表取締役社長 米田英一