PROFILE
地元・京都府京都市の名門水泳クラブ「京都踏水会」で水泳を始め、8歳から本格的にシンクロナイズドスイミング(現名称・アーティスティックスイミング)に転向。10歳の時にジュニアオリンピックで優勝して頭角を現し、14歳から井村雅代氏(現・日本代表ヘッドコーチ)に師事する。20歳で世界水泳の日本代表に初選出されたが、肩の怪我により離脱。苦労の末、不退転の決意で臨んだ北京オリンピック代表選考会では劣勢を覆し代表の座を獲得。欧米選手に見劣りしない恵まれた容姿はチーム演技の核とされ、チーム5位の成績を残す。北京オリンピックを最後に引退し、現在はメディア出演を通じてアーティスティックスイミングをはじめとした幅広いスポーツの魅力を発信している。青木愛さんの学生時代は・・・
オリンピックとアーティスティックスイミングへの思いを再確認
新たな挑戦となるアーティスティックスイミングの練習では「できなかったことができるようになる」という達成感を楽しんでいました。全国大会でのメダル獲得を目標としていたため練習量は多く、放課後2~3時間の練習が週5回。加えて、表現力を磨くために週1回、ダンスの練習にも通っていたので休みはほぼ無しです。過密スケジュールではありましたが苦しさはありませんでした。まだ子どもだった私は、“オリンピックは出場できるもの”と思い込んでいて、きたるべき時に向けて練習に励んでいたのです。ただ、夏休みは朝9時から18時までの練習が毎日続き、「長いなぁ……」と思うこともありました(笑)。
そんなアーティスティックスイミング一色の生活がさらに加速していったのは中学2年生の時。井村シンクロクラブからお声がけいただいて、大阪の井村シンクロクラブに通い始めてからです。そこは、オリンピックを本気で目指す選手たちが日本中から集まってくる場所。練習は厳しく、練習時間も長くなりました。放課後、遊びに出かける友だちを横目で見ながら電車に乗り込み1時間以上かけて大阪に向かい、練習が終わるのは21時過ぎ。家に帰ると23時という日々です。
その過酷な練習に加え、人間関係の悩みなどもあり、だんだんと「なんで私はこんなに辛いことばかりしているのだろう」と思うようになっていきました。そして、初めて練習をサボってしまいました。しかし、アーティスティックスイミングから離れたとたんに心から湧いて出てきたのは「おもしろくない」という感情。辛い練習は嫌いでしたが、離れてみると自分はアーティスティックスイミングが好きで、オリンピック出場を本気で目指していることに気づかされたのです。「練習に戻りたいけど、戻ったら怒られる……」と練習に戻れずにいたのですが、当時の担当コーチが毎晩電話をくださったり、当時日本代表に入っていた先輩のお母様が家に来て話をしてくださったりしました。そのことがきっかけとなり、約一週間後には練習に戻り、もう一度、アーティスティックスイミングに真剣に取り組むようになっていったのです。
日本代表を辞退するもリハビリでパフォーマンス向上
世界の舞台で日本の技術力を示し次々と好成績を叩き出す
また、その頃に出場した国際大会で目の当たりにしたのは、長身で手足が長くスラっとした体つきの外国人選手と、彼女たちが繰り広げるダイナミックで美しい演技の数々です。水の中で映える体型や表現力に日本が勝てるのは、技術力の高さ。そう再認識したのを覚えています。
そして、日本代表の座を手にしたのは2005年。20歳の時でした。ところが代表入り後、肩に大きな怪我を負ってしまったのです。「やっと勝ち取った代表の座を他の人に奪われたくない。自分の場所がなくなってしまう……」。そんな焦りと不安から、私は数日間、怪我を隠して練習をしていました。しかし痛みが引くことはなく、コーチに怪我を打ち明けて病院へ。井村先生が病院に付き添ってくれました。医師からは、「このまま無理して試合に出られるようにすることもできるが、その先の選手生命が終わってしまうかもしれない」と告げられました。日本代表として初めて出場する大会だったため、このチャンスを手放さないほうがいいのではないかと一瞬葛藤していると、隣にいた井村先生から「今は無理をする時じゃない」とピシャリと言われ、代表辞退を決意したのです。
そこから始まった辛いリハビリ生活を頑張れたのは、井村先生がマンツーマンでリハビリに付き合ってくださったからでした。先生が、自分のためだけに時間を割いてくださっていることがありがたく、貴重でした。その感謝の想いが、ワールドカップに出場したいという気持ちをさらに強くしていきました。
井村先生への恩返しを誓った2006年のワールドカップは怪我明けの復帰戦。テクニカルルーティーンが終わった時点でスペインと同点で競り合うことになったものの、フリールーティーンで巻き返し、ロシアに次いで2位になった時は心からのよろこびを噛みしめました。続く2007年の世界水泳は、これまでで一番、持っているものを出し切れた気持ちのいい試合でした。泳ぎ終わった瞬間、チームの皆もコーチも全員が笑顔になったことが忘れられません。そして2008年、ついにオリンピックへの出場が叶ったものの、メダルを獲得することはできませんでした。自分たちの実力を出すことはできたが、結果はついてこなかった。矛盾しているかもしれませんが、全力を出し切れたので悔いはない、でもメダルを獲得することができなかった悔しさは残る、そのような大会となりました。私はそのオリンピックを最後に引退し、アーティスティックスイミングのコーチを務めた後、スポーツコメンテーターとしてさまざまな競技の魅力を発信する仕事にあたっています。
青木愛さんからのワンポイントアドバイス
自分の強みと弱みを把握し、勝ち上がるための戦略を立てる
(1)腹筋を鍛えるトレーニング…膝を立てて座り、膝の間にバレーボールや同等サイズのボールをしっかりと挟みます。頭と背を床に着けたら、手を胸の前でクロスさせ、反動を使わないよう「1・2・3・4」と4カウントで上体を上げ、1カウント休憩。4カウントで頭と背を床に下ろして1カウント休憩。これを10セット挑戦してみましょう。
もう一つは、膝を立てて座り、足を押さえてもらった状態で上体を45度傾けたまま30秒キープするトレーニングです。背中を丸めずに3~5セットやってみましょう。私は、このトレーニングをする時は、上体を下ろし切るとプールの水に浸かってしまうプールサイドで行い、自分を追い込んでいました(笑)。
(2)体幹を強化するトレーニング…腕を真っすぐに下ろし90度になるよう肘を曲げた位置でゴムバンドの端を手の平に巻き付けて握り、もう片方を柱やポールに結び付けます。体がぶれないよう踏ん張りながらゴムバンドを内側に引っ張ることで、体幹を強化します。左右各30回を2セット、または各20回を3セット取り組んでみましょう。
高校では、コーチなどの指導者がトレーニングメニューを決めることが多いと思います。コーチに自分の身体の弱い点を教えてもらい、そこを強化するためのトレーニングメニューを組んでもらうと良いでしょう。でも、間違ったトレーニングは身体を痛めますから、必ず正しい方法で、体調と相談しながら行ってくださいね。
筋力以外でも、自分の強みと弱みを把握することは大切です。たとえば技術面などでも、周囲との動きの違いから自分の特徴を見出したり、コーチから指摘してもらったり、練習映像を見て自分自身を客観的に見たりすることで、強み・弱みが分かってきます。私が現役時代に強みとしていたのは、日本人の中では比較的身長が高いところと足の強さ、体の柔軟性です。選考会の時は、立ち泳ぎをした時の高さと動きの柔らかさをしっかりとアピールしていました。自分の強みと弱みを正確に把握しておくことで、勝ち上がるための戦略が立てられます。
もう一つ大事にしてほしいのは、「教えてあげたい、応援したい選手」になること。怒られたからといってふてくされたり拗ねたりしては、教える側も気分がよくありません。感情をそのまま態度に出すことはせず、言われたことを真摯に受け止め改善する姿勢でいると、色々な人の協力を得られるようになります。これは、私が現役時代に、怒られてはふてくされていた時の経験をもとにしたアドバイスですから間違いありません(笑)。
※掲載内容は2023年12月の取材時のものです。
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