江畑 幸子さん
元バレーボール選手
ロンドンオリンピック バレーボール女子銅メダリスト
江畑 幸子さん
元バレーボール選手ロンドンオリンピック バレーボール女子銅メダリスト
PROFILE
1989年11月7日生まれ。秋田県秋田市出身。小学3年からバレーボールを始める。高校時代は、聖霊女子短期大学付属高等学校のバレーボール部主将として、春高バレーやインターハイなどで活躍。卒業後は日立佐和リヴァーレ(現・日立Astemoリヴァーレ)に入団し、2010年に全日本女子代表に初選出された。同年に開催された世界選手権や、2012年のロンドンオリンピックでは、メダル獲得に大きく貢献。2014年にフランスの強豪RCカンヌに移籍し、リーグ優勝も経験した。2015年、国内リーグのPFUブルーキャッツに移籍。入団初年度にチームをプレミアリーグ昇格へ導く活躍を見せた。2021年3月、現役を引退。現在はバレーボール普及のために、メディア出演や試合解説、バレーボール教室などのイベント活動を行っている。江畑 幸子さんの学生時代は・・・
レベルアップのため、定評のある指導者を求めて私立中学に進学
中学は、東北ナンバーワンと定評のあるバレーボールのコーチがいた、聖霊女子短期大学付属中学校に進学しました。そのコーチに教わった先輩の中には、春高バレーで活躍している方も多くいて、私も指導を受けたいと思ったんです。しかし、ただ楽しくバレーボールをやっていた小学生のときとは異なり、練習はとてもハードでした。さまざまなトスに合わせてスパイクを打ったり、ボールが飛んでくる方向や自分のポジションによってレシーブの取り方を変えたりと、「レベルアップするにはこうした細かな練習が必要なんだ」と、多くのことを学びました。また当時、コーチから言われて印象に残っているのが、「スパイクのミスを、セッターのトスのせいにするな」という言葉です。この言葉をきっかけに、「少し乱れたトスをミスしたり打ちにくそうな素振りをしたりすることは、カッコ悪い。自分はどんなトスでも絶対に打てる選手になりたい」と考えるようになりました。
その後、付属の高校にそのまま進学してバレーボールを続ける中で、プロチームの日立佐和リヴァーレ(現・日立Astemoリヴァーレ)のスタッフが、練習を見に来てくれたり指導しに来てくれたりするようになりました。その影響もあって、高校卒業後は日立佐和リヴァーレへ入団することを決意。中学生の頃から、テレビで全日本のバレーボールの試合を見るたびに「私もこの中で戦ってみたい」と思っていたので、プロの道に進むことに大きな迷いはありませんでした。しかし内定をいただいた後、練習に参加させてもらうと、プロの選手と自分のレベルの差を突き付けられました。練習試合に1セット出るだけで足がつりそうになるなど、特に体力面ではまだまだプロに及ばないことを痛感しました。その一方で、自分の武器であるスパイクだけなら通用するかもしれない、という自信はもっていました。
20歳で全日本女子の代表に初選出
「どんなトスでも打つこと」を武器に、世界の舞台へ
2012年のロンドンオリンピックのときにも、その「絶好調な日」がありました。それが準々決勝の中国戦です。中国は手強い相手な上に、試合は負けたら終わりの大事な一戦。絶対に勝ってやるという気持ちで臨みました。試合が始まってスパイクを一本打った瞬間に「今日はいける」と確信し、「私が決めるからどんどんボールをもってきて」と自信をもって、思いきりプレーすることができました。試合も、フルセットまでもつれた激戦の末に勝利。私はその試合で木村沙織選手と並ぶチーム最多の33得点を挙げることができました。
ロンドンオリンピックの後、さらなる高みを目指してフランスのRCカンヌで1年間プレーをしましたが、帰国後は怪我に悩まされたり、不調な時期もあったりして、リオオリンピックへの出場は叶いませんでした。そのときは落ち込んだのですが、所属していたPFUブルーキャッツのチームメイトたちが温かい言葉をかけてくれて、自分を必要としてくれている人たちがいることを実感し、また頑張ろうと思えました。怪我は、身体をもっとうまく使えるようにするための機会だと考え、新たなトレーニングやリハビリを取り入れながら、なんとか乗り越えました。しかしその後、国内でプレーを続ける中で、膝の不調が治らず、2020年に手術をすることに。リハビリをしてもあまり治りが良くなくて、もう全力でプレーするのは難しいかもしれないと感じました。そして、自分の身体からも「これまで十分がんばってきたから、もう無理しないで」と言われている気がして、2021年に引退することを決意しました。身体の痛みがなくなり、また今まで通りのプレーができるようになるなら、あともう少しバレーボールをしたかったというのが正直なところです。それでも、これまでを振り返ると、自分の中では「十分にやりきった」と思える競技人生でした。
江畑 幸子さんからのワンポイントアドバイス
地道なトレーニングと規則正しい生活が大切
(1)体幹トレーニングをする…スパイクの成功率を上げるには、体幹を鍛えて体の軸を安定させることが大切です。私が高校時代によくやっていたのが、体幹トレーニングの定番「プランク」。家でテレビを見ながらでもできるので、ちょっとした時間にやる癖をつけるのがおすすめです。最初は15~20秒くらいから始めて、自分のできる範囲で少しずつ時間を延ばしていきましょう。
(2)日々の練習でジャンプ力を鍛える…バレーボールをする上で欠かせないジャンプ力を伸ばすには、特定のトレーニングをするというよりも、日々の練習で常に高く跳ぶことを意識するのが効果的です。体力的にはかなりしんどいですが、私自身も学生時代に実践し、ジャンプ力をぐんと伸ばすことができました。日々「1㎝でも高く跳ぶぞ」という意識をもって、スパイクやブロックの練習に臨んでみてください。
(3)8時間以上の睡眠をとる…しっかり睡眠をとることは身体づくりをする上で欠かせません。私は学生時代、毎日22時くらいには寝て、8時間以上の睡眠をとるようにしていました。そのおかげで身長も伸びたと思いますし、疲れた身体を休ませることで、翌日も良いコンディションで体を動かすことができていたと思います。つい夜更かしをしたくなることもあると思いますが、成長期の皆さんには、ぜひ質の良い睡眠をとることを心掛けてほしいです。
バレーボールは、絶対に一人ではできないチームスポーツです。だからこそ選手には、技術だけでなく、コミュニケーション能力や広い視野をもつことも求められます。私は現役時代、たとえチームが劣勢の状況に追い込まれても、「大丈夫だから、私にトスをもってきて」と声を掛けるようにしていました。コートの中に不安な気持ちをもった人が一人でもいると、それが伝播してチームの雰囲気に影響してしまうからです。バレーボールが上手な人は皆、コートの中で常にチームメイトのことを考えた行動ができる人ばかりだと感じます。これはバレーボールだけでなく、日々の生活でも活きる力なので、皆さんも自分にできることから実践してもらえたらと思います。
※掲載内容は2023年3月の取材時のものです。
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