PROFILE
1981年8月4日、愛知県生まれ。小学校3年生から、兄・妹とともに柔道を始める。その後1年も経たずに県大会優勝。中学生時代は、柔道家の吉田秀彦も通っていた大石道場へ入門。その後は桜丘高等学校、筑波大学を経てコマツ女子柔道部に所属。現在、主将を務める。2004年アテネオリンピックでは、オール一本勝ちで金メダルを獲得。しかし北京オリンピックを翌年に控えた2007年、選手生命の存続が危ぶまれるほどのケガを負ってしまうが、2008年の北京オリンピックにて、オール一本勝ちで金メダルを獲得するという見事な復活を見せた。オリンピックを連覇した日本人柔道家の中で、全ての試合で一本勝ちを収めたのは谷本選手ただ一人である。常に一本を取りに行く「一本柔道」を貫き通す日本人屈指の柔道家である。今後もますます活躍が期待される。谷本 歩実選手の学生時代は・・・
好きなことだから、自然に努力していた
柔道のことなんて何も分からない状態から始めたんですけど、習い始めてすぐに県大会で優勝したことで急に興味がなくなり、その1年後には柔道を辞めたいと口にしていたみたいです(笑)。
でも中学校入学後、大石道場に通いながら柔道を本格的にやるようになったんです。その頃からですね、柔道が楽しくなってきたのは。週2回の練習で、柔道の基本を身につけようとがんばりました。
そして高校生になると寮生活が始まり、本格的に柔道をする女の子たちにも出会えるようになって、柔道が私生活の一部になったんです。そうなると当然、柔道がより楽しくなって、もっと練習したいという気持ちが大きくなりました。
それで、部活以外でのトレーニングを1人でたくさんやるようになりました。その頃の私は、柔道がやりたくて、やりたくてしょうがない気持ちでいっぱいだったんですよ(笑)。だから柔道の練習のときは、たとえ5分の練習でも、それが30分ぐらいあるような濃い内容の練習をやっていました。
私の場合、柔道一家というわけではなかったので、好きだという気持ちだけで続けてきて、全国トップクラスの筑波大学に入学でき、オリンピックに出場することになったのは、とても嬉しかったです。
柔道をするうえでのこだわりとは・・・
「一本柔道」を貫くこと。それが私のこだわりです
人は目標と目的、両方持たないと、途中で挫折したり簡単に諦めてしまうことが多いんです。なぜなら、目標だけにとらわれてしまうと、目標に到達するまでのプロセスが埋まらないことが多いからです。でも目的を作ることで、目標に到達するまでのプロセスを埋めることが出来るんです。
私の場合は、昔からこだわっている、「一本柔道」を貫くことが目的です。「一本柔道」とは、常に一本を取りにいくスタイルの柔道のことです。一本を取る、という目的の先に「勝つ」または「優勝する」という目標達成があるのです。
そして「一本柔道」を貫くためには、柔道の基本を誰よりも学び、技の完成度も誰よりも高くしなければいけません。1日1日の練習で手を抜かずに集中し、「今本当に自分は全力で柔道に取り組んでいるのか」と自問自答するくらいの強い気持ちを持ち続けることがとても大切なのです。
また、「柔道には人として必ず学ぶべきところがあり、それを学ぶことに意義がある」ということも皆さんに伝えたいです。柔道の基本に沿ってやっていけば、軸がしっかりある、人として気持ちがブレない人間になれると思うんです。
たとえば、相手が正々堂々取り組んでいるからには、こちらも正々堂々と取り組みます。これが本来あるべき柔道の姿です。二人とも全力を出し切って戦う試合は、見ている人にもすごく感動を与えるものです。私はそういう柔道が出来たとき、やっていて良かったと思います。対戦相手も本当に柔道が好きで、お互いが今までやってきたことの全てを出し切れる相手と試合ができると、ものすごく幸せな気持ちになるんですよね。
谷本 歩実選手からのワンポイントアドバイス
「集中力」と「人を大切にする心」。それが柔道上達のポイント
(2)相手を敬(うやま)う・・・柔道は必ず「礼に始まり礼に終わる」。相手を敬って、尊敬してこそなんですよね。選手である前に人なんです。まずは人としてお互い学ぶべきところを学ぶという気持ちが大切。柔道は組み合った瞬間にどちらが強いか分かりますが、相手が強いと分かっても私は逃げません。なぜなら、実力に関わらず相手も正々堂々と来るから、こちらも全力で挑むのです。そういう試合で出会った対戦相手は、その後も良きライバルになります。良きライバルは絶対作った方がいいですよ。
(3)家族を大切にする・・・柔道に限ったことではありませんが、家族は本当に大切にしてください。居場所があると人間は頑張れます。私の場合も、大ケガをしたにもかかわらず、北京オリンピックに出場でき、その上オール一本勝ちで優勝できたのは、家族の支えがあったからこそだと思っています。
※この記事は2009年8月に取材したものです。プロフィール等は取材時点のものですので、ご了承ください。
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