柔道家 ミキハウス所属 リオデジャネイロオリンピック・柔道女子78kg超級銅メダリスト |
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※プロフィール等は2020年12月時点のものです。
![]() 中学生になり、少しずつ全国大会など大きな大会に出場できるようにはなりましたが、1回戦で負けることが多く「やっぱり全国大会は強い子ばかりだな」くらいにしか思っていませんでした。それよりも、まず北海道で一番になりたいという思いの方がありました。また、柔道は好きでしたが、それ以上に面白かったのは全国大会で北海道から出て、いろんな所に行って友達が増えること。これは自分が頑張れば、全国大会に出られるというやる気にもつながっていきました。その結果が中学3年生での全国中学柔道大会での2位でした。でも、もう少し頑張ることができれば優勝できたという気持ちが強くなって、高校進学は北海道で一番柔道が強い学校を選びました。 旭川大学高等学校は、柔道が強い上に厳しいと聞いていました。初めて家を出て寮生活になりますが、私自身、そういう中に身を置いて世間や先輩などいろんな厳しさを学んだ方がいいと思えたからです。実際に高校時代は学業以外は柔道の練習に明け暮れる毎日でした。当時の目標はただひとつ、インターハイ優勝です。中学生最後の全国大会は2位だったので、高校生最後のインターハイは絶対優勝したいという思いが強かったからです。 | |
![]() 卒業後は高校1年生の頃から声をかけていただいていた、山梨学院大学に進みました。1年生の頃から海外遠征にも行かせてもらっていましたが、そんなに結果を残せていなかったので、柔道は学生時代で辞めることも頭をよぎりました。でも今までの練習の厳しさや勝負の悔しさを考えると「まだ辞めたくない、後悔したくない」と思い柔道を続けることを決めました。新たな気持ちで挑んだ大学4年の全日本選手権での初優勝、次は世界で結果を出したいと思うようになりました。そして卒業後、世界を目指すためにミキハウスに入りました。 ミキハウスに入りたかった理由はただひとつ、薪谷翠コーチがいたからです。大学時代、初の海外遠征で日本代表監督をされていたのが薪谷コーチで、柔道に向かう姿勢や考え方を教えていただきました。だから世界を目指すなら薪谷コーチの指導が絶対だと思ったし、もし断られたら柔道を続けるという選択肢もなかったです。社会人として国内外で結果を残せたことで、オリンピックに近づいていると感じ、2016年の全日本選手権優勝で、ついにリオデジャネイロオリンピック出場が決まりました。オリンピックは日本を出発する時から全てが特別で、緊張感もすごかった。でも、ここまでやってきたという自信を胸に畳に上がりました。結果は銅メダル、金ではない悔しさはありますが、必死でつかみ取ったメダルでした。 | |
![]() (1)体操・・・激しい練習に入る前の柔軟運動です。身体や筋肉をほぐしたり温めたりして動きやすくします。また怪我の予防にもつながる大事な体操です。 (2)打ち込み・・・打ち込みは、技に入るための形作りの練習です。実践で使う技を相手にかけて、実際には投げませんが、形を確認しながら反復練習をします。この時、相手は停止している状態で行います。 (3)移動打ち込み・・・次に実戦のように移動している相手に打ち込みをします。まず一人で寝技の打ち込み(技に入る形作りの練習) (4)寝技・・・中学生までは寝技が規制されていますが、高校生からは全ての寝技が使えるようになります。まず一人で寝技の打ち込み(技に入る形作りの練習)をして、技を身体に覚えさせるようにします。次は実際に相手と技をかけあいながらの練習です。 (5)立ち技(投げ込み)・・・実際に相手を投げたり、投げられたりして身体で感覚を覚えていきます。この時受け手は、受け身の練習にもなります。 (6)立ち技(乱取り)・・・打ち込みで確認した技を、実戦形式で相手と技の攻防をします。練習の集大成とも言えるもので、一番時間をかけて練習していました。 また、練習後に走って体力をつけたりもしていました。高校生にもなると、強くなるためには何をすれば良いかを考えるようになりました。私は走るくらいしか思いつかなかったのですが、やらされるだけではなく、自分から貪欲に取り組むことで結果が変わってくると思います。自分から必死につかみ取った技や力は自信となり、試合でも生かされるはずです。 |