僕の父と2つ上の兄も野球をやっていたので、物心ついた時にはいつもボールとクローブとバットが遊び道具でした。そして小学校に入った頃には近所のソフトボール大会に出ていましたし、4年生の時には少年チームに入って初めてユニホームを着ました。僕は野球以外の遊びを知らない子どもでした。実家は染色の工場をやっていましたが、父が工場の半分を野球場にしてくれて、僕ら兄弟の野球を応援してくれていましたから、家庭環境もすごく恵まれていたと思いますね。 そして平安中学、平安高校と野球部に入っていましたが練習の厳しさが一番の思い出ですね(笑)。授業以外には野球しかしていなかったんじゃないかな。当時はやはり甲子園に出場することが一番の目標でしたから、チーム全員がどんな厳しい練習にも頑張れたし、遊びたいとか思うこともなかったんだと思います。ただ、3年生の夏は1回戦で負けてしまい結局、甲子園にはいけなかったことはすごく悔しい思い出です。今でも当時の同級生と集まるとその時の話が出ます。うれしかったことだけじゃなく悔しさもいい思い出です。高校時代の宝物ですね。 高校時代には将来はプロ野球選手になりたいというはっきりした目標を持っていました。でも、まだ夢のようなもので「なりたい」という気持ちと「なれる」という現実は別ですから。この夢が現実味を増してきたのは大学2年生の時に首位打者をとってからです。このまま頑張ればプロも夢じゃないと思えました。実際に練習にはスカウトの方々も見に来ていましたから。
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